文禄元(1592)年から翌年にかけて,慶長2(1597)年から翌年にかけて,
豊臣秀吉は配下の軍勢を朝鮮へ侵攻させた。
これを文禄・慶長の役という。この侵略を韓国では壬辰丁酉倭乱といい,
朝鮮は膨大な損害を被った。
日本軍は朝鮮の軍民の鼻を切り取り戦功の証明とした。
この鼻は日本へ送られ,方広寺門前に鼻を埋め塚を造り,
慶長2年9月28日に大法要が営まれた。
この塚をはじめ鼻塚とよび,のちには耳塚と称した。
※江戸時代初めには塚の上に巨大な五輪塔が立てられた。
(京都市歴史資料館HPより)
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明治31(1898)年は豊臣秀吉の三百年忌にあたり,
豊公三百年祭が行われた。
その時に耳塚とその周囲が整備された。
秀吉を顕彰し,改修事業の経緯を示すために建立されたのが
耳塚修営供養碑である。
その時造られた石柵は当時の著名俳優が寄進したもので,
役者名が刻まれている。(京都市歴史資料館HPより)
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看板によれば
朝鮮軍民の男女の耳・鼻…
ご冥福を祈ります。
※看板より
玉垣銘が気に成ります。
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多くの関西俳優名〜
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初代 中村鴈治郎
成駒屋!
※耳塚修営供養碑
読めない。。
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明治5年の明治天皇
御小休所下京第27区小学校址
※昭和の御大典次の年(2601年)に
京都府建立
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烏寺さん〜
※正面通〜
西へ向かいます。
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鰻の蒲焼
※焼き鳥
どちらも、おいしそう〜 |
力餅?と思えば
大力食堂さんでした。
※背伸びしたら〜
まだ豊国さんが見えます。
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やはり
京都の方には
豊国さんは人気だったみたい。
※正面橋
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正面橋欄干と
ツーショット!
※気に成る辺り
見っけ!
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正面橋渡って
西へと
※jizouさんも〜
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大正期に市電を走らせる際に
造られたと言う七条大橋
(行きしな渡りましたね。)
※五条大橋も
夏前の、この時期の風に吹かれて〜
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こっちやで〜と!
※あっちにも〜と!
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ここから。。。
※正面、橋と通り…
ビュー最高!
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擬宝珠も凝って〜
※ん?野良釣鐘??
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京仏具 橋本菊商店さん
黄色の擬宝珠って。。。
真鍮色??
※任天堂旧本社前にて
はめ込み地蔵様〜^^;
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任天堂旧本社
※アールデコの綺麗な建物です。
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マルフク看板は路地でよく見ますが〜
丸に福は…
細かい意匠〜
※中々ネットに出てこない
ランダムカラフルタイル。。
さて何所のでしょうか??
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1889年に現任天堂相談役の山内溥氏の曾祖父で
腕利きの花札職人であった
山内房次郎が「山内房次郎商店」を始め、
花札の製造を行った地ですと。
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夏前の日差しの中で
背伸びして〜
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千鳥に丸福の窓格子
※眼科・外科医療器具
歴史博物館
う〜ん寄りたいがなぁ。。
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奥の居宅の正面
※jizouさん
ハイポーズ?
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倉庫・居宅・工場
三点セットだったそうで〜
※エエナァ〜
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