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いつもの京橋から オケイハン乗って。。 |
前のまだまだサンとの 終着点の中書島からスタート。。 前回のまだまだサンの 感心した顔が目に映る〜 |
下は竹田街道 ※踏み切り渡って〜 |
中書島駅〜 又ね! ※伏見港公園を通って 前回淀ポタ時に来たかった場所に。。 伏見港、川港の雁木ですね。 |
これが見たかったんですわ〜まだサン! 三栖閘門 昭和四年製、完成当初は 年間2万隻の船が行き交ったとか。 現在は天ヶ瀬ダムの完成で宇治川水位の減少で 堤防の一部としての機能とか。 毛馬は地元なんですが… 手前の門と向こうの門とで 淀川と濠川の水位調整したのですね。 京都外環状線の高架が邪魔。。。 ※屋形船がヒッソリト〜 |
メインの水門。 ※宇治橋に似た肥後橋です。 |
肥後橋、 こんな感じ… ※伏見開港 414年(H20) なんですね。 |
宇治川派流(1級河川)伏見港 ※(舟付)雁木が何箇所か有ります。 |
宇治川派流 ※新しい歩行者用木橋 |
宇治川派流 先は京橋 ※濠川 見えるは阿波橋 向こうは大手橋 |
角倉了以翁水利紀功碑 (すみのくら りょうい) 戦国期の京都の豪商 朱印船貿易により安南と貿易を行った。 幕命により大堰川、富士川、 高瀬川(方広寺大仏再建時の材木運搬)、天竜川等の開削を行った。 地元京都では商人と言うより 琵琶湖疏水の設計者である田辺朔郎と共に 「水運の父」と呼ばれる。 (Wikipedia、一部加文) ※伏見港の変遷 |
旧高瀬川です。 向こうは肥後橋 ※双子の背高蔵が御出迎え。。 |
それぞれの顔〜 ※ |
先の翁の角倉橋が有ったんですね。 ※これは現代。。 |
路地出たら〜 ※前にお酒買った店。 |
北へ〜京都駅へ向かって。。 ※千本格子が〜 でも。京都は沢山有るんですよね。 本日多数遭遇! |
濠川に架かる橋の袂に 龍馬が寺田屋で伏見奉行の役人に 取り囲まれた時に避難した 西浜の材木小屋がこの辺り、と石碑 薩摩藩邸に助けられたんですと。 ※フムフム〜 |
千本格子と同じ位 多かった地蔵様 ※ランダムに取り付けられた窓。 |
伏見市境界杭見っけ! 昭和初期のもの |