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暖簾のような川を越え(?) 京都から奈良に入ります。 天井川が県境です。 ※井手町から木津川市へ〜 |
坂を下りながらのワンショット。。 農家の〜 ※お寺の様な〜 |
街道は続きます〜 ※見返れば〜 |
ん?以仁王御墓 ※見返れば〜 |
高倉神社さん 以前に調べたときには 此処に式内社は無かったような〜 立派な神社です。 ※失礼します〜と |
手水はカエル… 玉津神社 も、そうだったんですが… この地区の流行りですかね。 ※此処にも長寿手形。。 やはり流行り?? |
以仁王御墓 後白河天皇第三皇子にあたり、 治承四年(1180年) 源頼政が平家追討のために王を擁立しましたが、 宇治川合戦に敗れ、奈良におもむく途中この地の 光明山の鳥居前で流れ矢に当たって落命、 この悲劇の王を悼んだ里人により 墓が築かれたといわれています。 山城町看板より ※当然、宮内庁〜 |
歴女さん 訪れてみては?? ※近江国海津銘 奉納馬に菊の御紋も〜 皇子縁の方からだとか〜 |
拝殿内に絵馬が〜 ※ |
宇治平等院の戦いの図 治承寿永の乱〜 平家打倒の序章 浄妙山保存会(祇園祭の山鉾) 1180(治承4)年,高倉宮以人王(もちひとおう)を奉じた 源三位頼政が平家と宇治橋で戦った際、 一来法師(いちらいほうし)と三井寺の僧兵である筒井浄妙(つついじょうみょう:浄妙坊)は 頼政に従って奮戦した。 この図は、浄妙坊が橋桁を渡って一番乗りをしようとしたところ、 一来法師が「悪しう候、御免あれ」と声をかけて 浄妙坊の頭上を飛び越え先陣をとった瞬間の両者の姿をとらえている。 ※此処の宮座の一場面 七人座とか |
薬師菩薩明神 疫神社 ※宮座の代表者の方 (里人の中での持ち回りだとか〜古 からの名誉職ですね) 昨日が祭だったとか。。 |
平家打倒の以仁王の令旨を出したとか。 皇子の邸宅が三条高倉にあったことから、 高倉宮と称された。 それから此処の名も? ※ |
色々と教えていただいて… ※鍋蓋付鳥居も・・・ |
ここで継いだんやと。。 ※へぇ〜 の面持ち。。 |
何故鍋蓋かは、阪大の先生にも聞いたところ 判らないとのこと。。 何方か?? |
マァ〜おいでなさいと。。 ※狛犬〜 |
日露戦争凱旋絵馬 此処の宮前ですね。 ※宮座の昔の奉納絵馬だとか。。 ご先祖様が描かれていると もう一度、説明を伺いました。 |
右は堅路地神 左は天照大神(?) ※祇園祭との拘りを ご教授いただきました 楽しい時間〜 |
皇子の笛のレプリカとか。。 ※祭の見方も変わりますね。 |
一間社流れ造り ※手水は流し。。。 |
賀神扁額 ※新聞記事も 宇治は戦略上の要所だったんですね。 |
鍋蓋鳥居〜 そう見れば〜 見方も変わります。 ※前面から〜もう一度。。 |
山背古道〜 浮ドン・福ちゃん 行きませんか? ※蔵にも 家紋 |
コスモスの季節〜 ※もう一度 天井川見て〜 |
筒井浄妙墓 ※のんびり行きたい所です〜 |
天神川横を〜 ※ 綺田(「あや」とも読みます。) 水田が綺麗な地区だったんでしょうか? 村中の路地景色 |
大きな御家も ※JR奈良線は続くよ〜 |