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今から約1600年ほど前、大陸から渡来した漢人庄員(しょういん)によって開かれた。 その頃、すぐれた文化を持った大陸人は歓迎され、優遇された。 渡来人のうち、織物をその専業とするものは、倉治を中心とした津田・寺村の山麓にその土地を与えられた。 (星のまち交野HPのより) 石畳が綺麗な〜趣味寺(失礼!) 須弥寺さん 石清水八幡宮(どちらでしょうか?)1 2 警護観世音菩薩 古代人陽石崇拝遺蹟 右奥の立石は 石棺の蓋? 当山の創基は佐太来迎寺(現守口市)に伝わる『須弥寺縁起』によれば 弘法大師が826年(天長3年)頃当地に巡錫し、草庵を結んだのに始まり、 859年(貞観元年)大安寺の僧行教が宇佐八幡を山城男山に勧請したときの警固観音を、 862年(貞観3年)にこの地に安置したという。 |
山際の道なんです。 ※交野山が笑っています。 |
傍示越峡崖道と合流して〜 ※石材が気になりますがね。 |
背高蔵〜 街道の香り ※旧寺村の面持ち |
二月堂燈籠も〜 街道沿いの物の集積地(?) これらの燈籠の火に旅人は ホッとしたのでしょうね! ※キョロキョロしたら〜 |
くろんど池から奈良の傍示を通り 下ってきたと話しながら ハイカーの方が歩いていました。 ※一期一会 思いの、すれ違い〜 |
Kさんの絵にも描かれていました。 寺の村中風景 アングルは違いますけどね〜^^; ※昔は茅葺き家屋だった… 山根道は、こちら〜 後でね! |
傾斜との戦い〜 石垣が綺麗! ※路地に突入〜 |
柿木が目立ちます トタン被せ。 ※綺麗な路地です。 |
先に〜 ※ |
山が迫ってきました。 ※蔵も綺麗に〜 |
路地は山道の様子。。 ※屋門に〜 ワンコが挨拶! |
シャガが咲いていました。 ※ありゃ〜 民家庭に。。。 |
引き返します。 ※違う 屋門〜 |
下りは楽チン! ※自動車無ければ シンドいかも〜 |
白木路地〜 ※ガラガラの戸も好きです! |
走行中〜 ※ブツケナイデネ 無言の〜 |
行きとは違う 風景… ※絵になりませんか? |
傍示越峡崖道は いきなり野良道に〜 ランドナーの世界 浮ドン如何?? 二つの傍示に行きませんか? |
こんな道が〜 落ち葉が似合いますよね。 ※住吉神社さん |
摂社 ※ |
手水鉢 ※多くの信仰〜 石燈籠群 |
色んな燈籠 ※なにわ型狛犬 |
摂社 ※ |
本殿舎 ※一間社流造り 地元の方が当番で掃除に 来られていました。 了解を得て、此処まで入らせていただきました。 |
境内地 ※拝殿社も〜 |
絵になるでしょう〜 ※自然石石燈籠 |
地車庫? ※かいがけ道 奈良への街道〜 家康も通ったんでしょうね。。 |
※神宮寺だったんでしょうね。 土塀跡 |
傍示とは、榜(ふだ)を立てて国境を示した。特に街道筋においては、この傾向が強い。 傍示は河内国と大和国の境になっている。 ここは交野から高山を経て富雄川を下り、 三碓(みつがらす)で左折して奈良に通じる「かいがけ道」である。 古代交野は天野川流域の条里制が施行されたごとく、 豊かな地であり、かつ、渡来人の活躍の場でもあった。 寺、森辺りに古墳や遺跡が散在する。 当然この道は頻繁に利用されたことであろう。 また、東大寺建立の際、大仏の銅の鋳型がうまく出来ないため、 この仕事に熟達していた九州の字佐八幡宮にいた渡来人の鋳型師を招くことになり、 宇佐から大和に行くことになった。 一行は途中2斑に分かれ、一隊は枚方市の百済寺に、他の一隊は交野の獅子窟寺に宿泊した。 そして、この「かいがけ道」を通り奈良の都に到着し、 無事、大仏建立を助けたと言われている。 平安時代以降は熊野参りの人がこの道を利用している。 傍示にある八葉蓮華寺は熊野参りの道しるべとなる、八王子社の一つである。 ふるさと交野の歴史HPより |
かいがけ道は ハイキングコース。。 ※ |
今度は越えていきましょう〜 ※今回は、下ります。 |
脇のトイレにて〜 自分の尻拭いは 自分でしましょう〜 80歳のオバァちゃんより 政治家様へ エッ違う…(失礼!) |
かいがけ道に別れを告げて 寺の集落に〜 ※山根道の石仏 |
先へ〜 ※屋門も〜 |
街道風景 ※目移りします |
日が少し傾いて〜 陰影が綺麗に! ※牛が顔を覗かせても 可笑しくない風景 |
此処も綺麗に〜 ※鏡遊び |
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