|
八重桜が満開過ぎのこの日。 JR城東貨物線脇、側溝にて〜 花筏ならず〜花の絨毯。 ※榎並川跡 桜小橋 交差点越えて〜 まだまださんからは、 「先に行っといて」と〜 ソロです。 |
JR学研都市線(片町線) 四条畷駅 条の地を四條畷市か変更要望出したところ、JR西日本側が「駅名変更は地元からの要望で行うが 費用は自治体の全額負担」としており、さらに費用は数億円かかるため 市側での負担が困難な状態なことから、現在も駅名の変更はされていない。 (Wikipediaより) ※田舎の駅の風が〜 |
東は直ぐに生駒山! 山行き路地 ※ややこしい〜 ふるさと再発見! |
真っ直ぐな道路。 四條畷神社参道? |
駅前の学生さん達は 此処の子? ※デカイ! 石切地名も残っている、 この近くの物でしょうか? まださん、ねずみ君 今度飲みに来て諜いませんか? |
一の鳥居でしょうか? ※国道170号(旧外環状線)兼ねた 東高野街道沿い〜 |
明治期の燈籠 ※ |
流石に明治維新に盛り上がった方の神社 ※参道地蔵様も |
大阪市 姫路儀兵衛さん googっても出てこない〜 ※ |
明治二三年に四條畷神社が創建されたとか〜 大阪朝日新聞社奉献 ※写真集・大阪百年より 明治三〇年頃の写真より 何も無い〜 |
明治天皇の鶴の一声で 「忠臣の鑑」、「日本人の鑑」となり、 植樹有志者も気合が入ったでしょうね! ※大正四年…大正即位の礼の時期ですね。 |
権現川、生駒の峰(室池)から流れてきてます。 楠公橋 擬宝珠も気合が入っています。 (昔は木橋) |
気になる御家 ※立派な洋館建 |
鯱付きの和家屋 ※屋門フェチも驚きました。 室内用(?)四連電灯が二つも〜 |
四條畷神社参道茶屋 茶屋宿伊勢屋さん ※立派な鳥居 |
参道を見返れば〜 標高約45m ※夜間参拝停止中〜 |
まださんとの待ち合わせがありますので〜 ※ダッシュで登ります。(約15m) |
ん?浮・若… 有孚?若(ユウフギョウジャク) 意味は、祭祀のときに盥(てあら)いて身を清めてから、供え物を薦め献するまでの間の如くのように、 冷や汗がしたたり、毛髪は立ち上がり、薄氷を踏む如くに、 丈ャ若(うやうやしくおごそかなこと)として慎み敬って群下に臨めば、 なんとかその災害は間逃れということらしい。 要は、心身ともに清め厳かにして参拝をしなさいということ? これからの参拝の目標に〜 ※勿論新しい狛犬 |
大坂市南区難波新地五番町 昭和の初めには営業者数二百以上を有する 大遊郭の内、南地五花街遊郭の内 日本有数だったとか。 「技手」をgoogったら 本来旧制官庁の技術官の 一つとして、「技師」とは いわば兄弟のような関係にある。 官階としての用語「技手」が初めて登場するのは、「技師」より古く、 明治10年の工部省における「工術等級月給表」の改定令である。 工部省は、ご存知のとおり明治前期に、 近代工業の移植・振興策の核となった官庁である。 「技手」は、造船・製鉄等の重工業分野の官営企業を中心として、 技術系の官位として定着する。 職業能力開発大学校 谷口 雄治先生 |
敷石も好きですねん。 南向き社殿 ※石切場が近いから 大阪の石でしょうか? |
楠天神社 ※幕末の志士 真木和泉守は菅公、楠公を崇め 明治維新達成の動力とした。 |
手水鉢 ※ |
楠公碑 ※楠見上げたら〜 |
境内西側(大阪側) ※残念ながら眺望は… |
なにわ七幸めぐり 大阪天満宮 2 住吉神社 四條畷神社 大念仏寺 太融寺 今宮戎神社 四天王寺 (げっ!UPしていない…) ※明治二三年御鎮座 |
菊水紋 百度石 明治二三年 摂津住吉郡 平野石定 |
お宮参り 穏やかな時期です。。 お父さんカメラマン〜大変! ※拝殿社 正面から |
菊の御紋 麻雀みたい〜とは失礼! ※祈願絵馬も沢山 |
御妣神社 ※楠正成公 奥様ですね。 |
脇から見晴らしが… 向こうの直線道路は 第二京阪道路 |
桜井の別れ 忠孝両全の像 ※脇の井戸が気になります。 |
久邇宮殿下御手植楠 恭仁宮に因んだ宮号とか。 |
社務所 ※蔵 |
淀川治水功労者 (新淀川治水の功労者さん) 我が住まい近くの御出身 ※ |
建設省銘石碑 (一部、明るさを修正しています) ※新淀川がなければ 現大阪の姿は無かったでしょうね。 |
※ |
※ |
ここからの見晴らしが 一番良い筈??? ※この段差 石垣に惚れ惚れ〜 |
大阪市南区瓦谷町 石屋浜の近く。 ※ |
紅葉が綺麗でしょうね。 ※急ぎます! |