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咲きかけの花寒曇りの空に
大仏線と短い都・渡来人の足跡を
木津川に探して〜(06)


梅は咲いたか桜は未だかいな〜
今年は遅めの開花宣言も〜
もう直ぐか?の、今日この頃。
花曇りで花寒〜
北風が吹き抜けていました。

※マウスポインターを置いてください。 

             撮影:平成23年04月03日  

山城茶業之碑
中国から伝来した茶は室町時代には山城各地で栽培され、やがて近江大和伊賀伊勢へと伝播した。
幕末の神戸港開港により、山城各地で栽培された茶は上狛浜から船で
木津川、淀川を経て神戸へ運ばれ、諸外国に輸出されました。
山城は茶の産地であるとともに加工・流通の中心地として「東神戸」とも呼ばれ、
ここ上狛地区には多くの茶問屋が軒を連ね、明治、大正、昭和と賑わいました。

(石碑より)

※山城茶問屋ストリートと呼ぶんデスって!

2004年10月銘

立派な屋門

※街道は先へ〜

入りたいでしょう〜

※樋に意匠
茶壷ですね。。

まださん
激写中!

※もう一度〜

先へ〜

※妙に綺麗です。

キョロキョロしながら〜




福井
看板〜

※うっとりと〜


在りましたぜ!
『門内へ馬車引き込むべからず』
琺瑯看板
往時の賑わいが見えそうですね。

※立派な屋門!

福寿園は古く、寛政2年の創業で大阪・神戸に通じる木津川の船着場として
、また大和・伊賀街道の交叉地として諸物の集散地であった
山城国上狛(現京都府木津川市山城町)に福井伊右衛門により茶商として始まりました。
(福寿園HPより)



サントリーの伊右衛門
竹の意匠の販売機
名は福寿園の創業者からだとか。
コンビニ販売により飛躍的に〜
当所は紙と缶製で
今ではPET販売。
自販機とコンビニ販売では
PET容器が違うとか。。
(Wikipediaより)


※同名の茶葉も販売されていると。

3連蔵〜

※左が蔵でしょうね。
人馬のざわめきが見えそう〜




 山城茶問屋ストリートに
戻って。



蔵と畑が〜

※洋館造り
基礎は石垣
水との戦い

大きな庇の倉庫

※茶葉倉庫
文字でしょうか?

鳥二態


※カラス

塗るのなら塗る!

※木津川市市役所支所

もう一度〜
茶葉が工場と成った今、
最盛期には使われるのでしょうか?

※旧上狛町役場跡
山城町
ですって。

R24上狛交差点
東日本大震災で被災された方々に、お見舞い申し上げます。

浮ドン、かもさん、
ねずみ君、福ちゃん、
マー殿…は、
お休み。。
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