山城茶業之碑
中国から伝来した茶は室町時代には山城各地で栽培され、やがて近江大和伊賀伊勢へと伝播した。
幕末の神戸港開港により、山城各地で栽培された茶は上狛浜から船で
木津川、淀川を経て神戸へ運ばれ、諸外国に輸出されました。
山城は茶の産地であるとともに加工・流通の中心地として「東神戸」とも呼ばれ、
ここ上狛地区には多くの茶問屋が軒を連ね、明治、大正、昭和と賑わいました。
(石碑より)
※山城茶問屋ストリートと呼ぶんデスって!
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2004年10月銘
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立派な屋門
※街道は先へ〜
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入りたいでしょう〜
※樋に意匠
茶壷ですね。。
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まださん
激写中!
※もう一度〜
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先へ〜
※妙に綺麗です。
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キョロキョロしながら〜
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茶
福井
看板〜
※うっとりと〜
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在りましたぜ!
『門内へ馬車引き込むべからず』
琺瑯看板
往時の賑わいが見えそうですね。
※立派な屋門!
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福寿園は古く、寛政2年の創業で大阪・神戸に通じる木津川の船着場として
、また大和・伊賀街道の交叉地として諸物の集散地であった
山城国上狛(現京都府木津川市山城町)に福井伊右衛門により茶商として始まりました。
(福寿園HPより)
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サントリーの伊右衛門
竹の意匠の販売機
名は福寿園の創業者からだとか。
コンビニ販売により飛躍的に〜
当所は紙と缶製で
今ではPET販売。
自販機とコンビニ販売では
PET容器が違うとか。。
(Wikipediaより)
※同名の茶葉も販売されていると。
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3連蔵〜
※左が蔵でしょうね。
人馬のざわめきが見えそう〜
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山城茶問屋ストリートに
戻って。
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蔵と畑が〜
※洋館造り
基礎は石垣
水との戦い
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大きな庇の倉庫
※茶葉倉庫
文字でしょうか?
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鳥二態
鳩
※カラス
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塗るのなら塗る!
※木津川市市役所支所
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もう一度〜
茶葉が工場と成った今、
最盛期には使われるのでしょうか?
※旧上狛町役場跡
山城町
ですって。
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R24上狛交差点
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