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咲きかけの花寒曇りの空に
大仏線と短い都・渡来人の足跡を
木津川に探して〜(02)


梅は咲いたか桜は未だかいな〜
今年は遅めの開花宣言も〜
もう直ぐか?の、今日この頃。
花曇りで花寒〜
北風が吹き抜けていました。

※マウスポインターを置いてください。 

             撮影:平成23年04月03日  

御霊神社さん
この日は、この地区の
神社での例祭みたいで
各神社綺麗に清掃されていました。
豊年満作記念!

※左右に座が…の面持ちも〜
割拝殿のように配置された
この地区のスタンダード型
山城ポタのとは少し違った形です。

明治32年銘

※水谷川(みやがわ)忠起男爵筆
春日大社・談山神社宮司
春日神社の影響〜??

御霊フォント??

手水鉢



本殿社は流造り〜



盃状穴でしょうか?

※拝殿では
神事の途中〜

 立砂も〜

寿老座
翁座



 末吉座・住広座

※神楽座・天明座
色々あります。

昭和48年に木津ニュータウン建設時に
社有地を売却し各農家に分配し、
残金利息で三社の造営したとか。。
此処と、どこでしょうか?

※すみません〜
ピンボケ。。
でも、稲荷社です。

本殿内に鳥居と
狛犬が〜

※可愛い狛犬

御陵神社北側に
上津(こうづ)遺構
当時、木津川は泉川と言われ
平城京や南都諸大寺の官衙
(公設の港湾施設)だとか。
木屋所(こやしょ)とも呼ばれ
材木をはじめ各種物資の調達を担ったとか。
下流は宇治川桂川との合流で淀川になり
大阪湾から瀬戸内海からシルクロード、世界との交流も〜

住宅地の中に
ポツンと空き地と石の碑が〜
この辺りの造成は大変だったでしょうね〜
発掘調査で。。。

※この堤防の下にも
遺跡が在るかも??

鉄道跡を東側から〜
辛夷と白壁土蔵

※奈良交通バス停
宮之堀
この通路は堀だったんですかね。

安福寺さん

※平 重衡(清盛の五男)
清盛の命により興福寺、東大寺の堂塔伽藍一宇残さず
焼き尽し、多数の僧侶達が焼死した。
実行した重衡は南都の衆徒からひどく憎まれた。
(大規模延焼は想定外だったとか)
壇ノ浦の戦いで生き延びたが
焼討を憎む南都衆徒の強い要求によって
この地で斬首されたとか。

多宝塔は重衡墓

※屯してます。。

宮之堀でしょうね。

※簡易通路橋(?)

R24・R163沿いを
木津川渡る為に〜

※少し上がってきました。

河川を利用した
環濠農家?

※城の堀のように〜

細かい編んだような
ゲルバートラス橋

※此処の川原で
私の幼き頃・幼稚園の遠足で
遊んだ思い出が〜

上流方向〜
向こうにJR奈良線

※リベットの数は凄い!

京都〜奈良を結ぶ国道24号線の木津川に架けられた橋で天平年間(729〜48年)、
僧・行基によって泉橋寺の門前に架けられたが流れが早く洪水の度に流失し
朝廷は貞観18年(1893年)、大船二艘、小船一艘を寺家に施入し人馬の渡しに使わせました。
明治26年(1893年)12月、泉橋寺より西方300mの河岸に架橋されましたが
国道24号線の開通によって現在地に架け直されました。



R24・R163に架かる昭和29年製の泉大橋
よく仕事で通行するのに橋の名前を、初めて知った!と
まださんボソッと…

※今日もまださん〜
通っているのでしょうか?
東日本大震災で被災された方々に、お見舞い申し上げます。

浮ドン、かもさん、
ねずみ君、福ちゃん、
マー殿…は、
お休み。。
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