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咲きかけの花寒曇りの空に
大仏線と短い都・渡来人の足跡を
木津川に探して〜(03)


梅は咲いたか桜は未だかいな〜
今年は遅めの開花宣言も〜
もう直ぐか?の、今日この頃。
花曇りで花寒〜
北風が吹き抜けていました。

※マウスポインターを置いてください。 

             撮影:平成23年04月03日  

山城町上狛の垣外へ〜

三川合流地点から25kmの距離標〜
この下流部に旧泉橋の橋脚が残っているとか。。
向こうの山は天王の峰か?

※面白そうな匂いを感じて〜
お寺の屋根を目指して〜

泉橋寺さん
裏から…

※橋の名の通
堤の下。。
橋を守護管理した寺だとか。。
いまなら国道事務所?

ハナミズキは未だ先
五輪石塔は鎌倉時代の作で高さが2.4mの花崗岩製で
光明皇后の遺髪塔とされましたが
移転に際し多くの遺骨が発掘され、
平重衡の南都焼討ちの犠牲者の供養塔であると断定されました。

※無縁仏の石塔

蔵が呼んでいました〜

※境内に村の墓も〜


まださん固まっていました。。

※地蔵石仏(山城大仏)は花崗岩からなる
巨大な丈六(じょうろく:4.8m)の石仏で
俗に山城大仏と称されます。
徳治3年(1307年)に地蔵堂が完成し
堂中に安置されていましたが文明3年(1471年)の
「応仁・文明の乱」時に大内政弘軍の
木津・上狛攻めで地蔵堂も焼失し
地蔵石仏の周りに堂宇の礎石が残るだけの
露出仏で日本一大きい地蔵石仏です。
兵火を浴びた為に黒ずんでいますが
鎌倉期の様式を留めています。
顔と両手は元禄3年(1690年)に後補されました。

奈良・神戸高岡新湊・鎌倉
色んな大仏様と、お会いしましたが〜
流石〜日本一の屋外地蔵様!

※顔と両手は元禄3年(1690年)に修理されたとか。。

垢洗
手水も色々〜



穏やかな御顔〜
酸いも辛いも噛み分けて…

※香炉狛犬さん

大きいでしょ!
花も手向けられて
地元の人々の手厚い信仰が感じられました。

※裾に小さな仏達も〜

泉橋寺さん山門

※国鉄時代のポスターのような。。

上狛南地区集会所

※泉橋寺地蔵尊像
少し気に成って〜

裏を見たら
京都三宅安兵衛依遺志建之
前にも12

※先へ〜


城の石垣のような綺麗な石垣

※蘇鉄も〜
東日本大震災で被災された方々に、お見舞い申し上げます。

浮ドン、かもさん、
ねずみ君、福ちゃん、
マー殿…は、
お休み。。
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