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山城町上狛の垣外へ〜 |
三川合流地点から25kmの距離標〜 この下流部に旧泉橋の橋脚が残っているとか。。 向こうの山は天王の峰か? ※面白そうな匂いを感じて〜 お寺の屋根を目指して〜 |
泉橋寺さん 裏から… ※橋の名の通 堤の下。。 橋を守護管理した寺だとか。。 いまなら国道事務所? |
ハナミズキは未だ先 五輪石塔は鎌倉時代の作で高さが2.4mの花崗岩製で 光明皇后の遺髪塔とされましたが 移転に際し多くの遺骨が発掘され、 平重衡の南都焼討ちの犠牲者の供養塔であると断定されました。 ※無縁仏の石塔 |
蔵が呼んでいました〜 ※境内に村の墓も〜 |
まださん固まっていました。。 ※地蔵石仏(山城大仏)は花崗岩からなる 巨大な丈六(じょうろく:4.8m)の石仏で 俗に山城大仏と称されます。 徳治3年(1307年)に地蔵堂が完成し 堂中に安置されていましたが文明3年(1471年)の 「応仁・文明の乱」時に大内政弘軍の 木津・上狛攻めで地蔵堂も焼失し 地蔵石仏の周りに堂宇の礎石が残るだけの 露出仏で日本一大きい地蔵石仏です。 兵火を浴びた為に黒ずんでいますが 鎌倉期の様式を留めています。 顔と両手は元禄3年(1690年)に後補されました。 |
奈良・神戸・高岡・新湊・鎌倉 色んな大仏様と、お会いしましたが〜 流石〜日本一の屋外地蔵様! ※顔と両手は元禄3年(1690年)に修理されたとか。。 |
垢洗 手水も色々〜 ※ |
穏やかな御顔〜 酸いも辛いも噛み分けて… ※香炉狛犬さん |
大きいでしょ! 花も手向けられて 地元の人々の手厚い信仰が感じられました。 ※裾に小さな仏達も〜 |
泉橋寺さん山門 ※国鉄時代のポスターのような。。 |
上狛南地区集会所 ※泉橋寺地蔵尊像 少し気に成って〜 |
裏を見たら 京都三宅安兵衛依遺志建之 前にも1・2 ※先へ〜 |
城の石垣のような綺麗な石垣 ※蘇鉄も〜 |