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揖保川支流を横目に 網干の街中目指して〜 |
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横浜〜黄昏…では無く 網干の余子浜なんですね。 ※写真館も立派に! |
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商店街の花飾り〜 昔は柳の枝に 飾り付けしたそうで 柳の枝は売り物だったそうですよ。 ※二股別れ〜 元、水路でしょうか? |
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右へ〜 ※真っ直ぐ通った道筋… 新しく(大正期〜昭和期)に 開発された物? |
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飾りつけ〜 私は好きなんです! ※鏡遊び〜 |
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エエ感じに抜けた道路 ※蔵のバックに 重なる瓦屋根〜 |
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全国に横浜の地名は多いけれど 余子浜は此処だけ? 青森の横浜のルーツは 此処の方たちだそうで。。 ※村中有志で この石碑が建ったんですね。 (後日、網干人さんから勝海舟の碑と 教えて戴きました〜サンスクです!) |
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魚吹八幡神社の若宮にあたる 船渡八幡神社 昔は船戸(ふなと)とも 書かれた文献が有ると… ※一本一得! |
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大きな御家… 江戸時代、天領の蔵元として 身分は商人でありながら 名字帯刀が許された家柄でしたと。 ※立派な欅の 屋門。。 |
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堤は少し高く盛られて… |
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元、物資の集積地 だけ有って造りが丁寧な造作でした。 ※石灯篭も狛犬も〜 |
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土俵が有りました。 相撲巡業も 来たかもしれませんね。 (後日、網干人さんから、この土俵は 出来て十年位で 少年相撲が行われているとか〜 昨年、地元網干中学の子が 北の湖部屋に入門したとか… 名関取に成って欲しい物です〜ガンバ!) ※力石も〜 |
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神功皇后御神楽の時の 御腰掛けの石だそうで〜 |
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龍の彫り物も立派! ※鬼瓦も流石! |
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まだまださん 嬉しそう〜 ※合祀された御地蔵さま。。 |
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生きていましたポンプ! 手水鉢は由緒正しい物〜 ※神社拝殿から 社殿までの渡り廊下。。 |
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上↑の手水鉢の由縁書 (浅野家家老よりの奉納品) 大事にしてや〜 ※お百度石〜 他の地方より大きめなんですわ! (これでも、この地方では普通…) |
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邨内安全〜 本当にネ! ※ |
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ノンビリと〜 |
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揖保川の流れ〜 古くは川船、 明治期からは電気鉄道 龍野(新宮)まで物資を運んでました。 今では車ですわな。。 ※網干水門 ここから船溜りに 行けたのでしょうね〜 大正期に船溜りは 埋め立てられたとか。。 |
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姫路市最西側、揖保川河口に位置する。 この街、古くから揖保川舟運と 瀬戸内海航路の要衝であり、 揖保川流域の物資の集散地として 繁栄した港町・商業町でしたと。 ※ここが船溜りだったのでしょうね〜 (そのまま船溜りで良かったのでは?) |
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網干の名の由来か? ※今では此処が船溜り。。 川なので北前船は 昔も無理だったでしょうが… |