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網干〜飾磨へ(6)

西の海を見に
布団太鼓に会えるのか?
大阪馴染の有名人の足跡が…

今回浮ドンはデジ1・私はプー太(プジョーパシフィック)
初登場!〜まだまださんは???

人が動けば道が出来る〜
多くの方が動けば街道(海道も)に…
物も人も集積地には、富が集まり
史跡も信仰も残されてます〜
無名のモノにも出会いたいものですわ!
撮影:平成19年04月29日  

少し東へ路地を目指して
圓勝寺さんを横目に〜


半分になった道標〜
右 ひめじ だけが辛うじて…

※もう少し先へ行くも〜
村中から出てしまいます。
バック!

観音神社にて 
小字名を「殿垣内」と言い、播磨の中心だった英賀城の出城で、
嘉吉の乱(1441)の時代に、すでに津の宮城との記録があり、
天正八年(1580)秀吉攻の時、
構主合田助九郎は部下八名と共に討死、
この時津の宮も焼討された。別名を勝城とも言い、
堀内に門口、番屋口、中の門、北の門の地名が残っている。
『魚吹津構城跡案内板』より

※そう思えば〜武家屋敷に見えたりしますが…

義経?どなたか教えてください〜

ノンビリと西へ〜
ここも、秋の祭りの時には
神輿や屋台、出店、見物客で
ごった返すとも。。

※大きな工場
膠か醤油?

折れた煉瓦煙突
煤の感じでは折れてからも
火は入ったのでは?

御手洗池、魚吹八幡神社の
御旅所だそうで〜
欅の大木が時代の証人。。

一本一得ではないのですが〜
半鐘だけが目立ちます。

※古い街並みが部分的に
残っています。

路地の奥は〜

※姫路に続く道〜

稲荷神社…地元でも
有名ではない神社も
私達大好きで…
コナレタ水道蛇口も。。

※正面から見たら
本瓦でシッカリした
造り。。

この時、安東縣の文字に引っかかったのですが〜
後日調べたら
旧満州国の地名だったんですね。。
時・人・物資の流れ〜〜
神社はタイムカプセルのよう!

正一位稲荷の眷属のコン吉。。

※耳が無い。。

奉納絵馬〜
何か合戦の模様?
と思っていたら…
一番下の写真参照。。

※義経合戦の図

大正期に
社殿が立派に成ったのか?

浮の巨匠〜
撮影風景。。

※探索中〜

力石も〜

※石灯篭の名残。。

昭和初期の家屋
丸ポストも背伸びして。。

※近くの広場(稲荷川原)でも
屋台の準備。。

ここで上の絵馬の解説が〜
姫路の朝日谷・愛宕神社が有名だそうで。
ここでは昭和11年が最後だったそうで〜
古くは雨乞いの儀式…へぇ〜〜〜

※火揚げとは、男柱や親柱と呼ばれる長い竿(さお)の先端に、
わらを詰めた円すい形の籠(かご)を取り付け
、松明(たいまつ)を籠へ放り上げる火祭りのこと。
『姫路市市長公室広報課』より
古来より山陽道は、大陸との交流の
幹線でした〜都が江戸に移ってからは
陸路は地味になりましたが…海上輸送は
北前舟のお陰で繁盛したとか。。楽しみ!
山陽電車で終点まで!
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