少し東へ路地を目指して
圓勝寺さんを横目に〜
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半分になった道標〜
右 ひめじ だけが辛うじて…
※もう少し先へ行くも〜
村中から出てしまいます。
バック!
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観音神社にて
小字名を「殿垣内」と言い、播磨の中心だった英賀城の出城で、
嘉吉の乱(1441)の時代に、すでに津の宮城との記録があり、
天正八年(1580)秀吉攻の時、
構主合田助九郎は部下八名と共に討死、
この時津の宮も焼討された。別名を勝城とも言い、
堀内に門口、番屋口、中の門、北の門の地名が残っている。
『魚吹津構城跡案内板』より
※そう思えば〜武家屋敷に見えたりしますが…
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義経?どなたか教えてください〜
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ノンビリと西へ〜
ここも、秋の祭りの時には
神輿や屋台、出店、見物客で
ごった返すとも。。
※大きな工場
膠か醤油?
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折れた煉瓦煙突
煤の感じでは折れてからも
火は入ったのでは?
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御手洗池、魚吹八幡神社の
御旅所だそうで〜
欅の大木が時代の証人。。
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一本一得ではないのですが〜
半鐘だけが目立ちます。
※古い街並みが部分的に
残っています。
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路地の奥は〜
※姫路に続く道〜
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稲荷神社…地元でも
有名ではない神社も
私達大好きで…
コナレタ水道蛇口も。。
※正面から見たら
本瓦でシッカリした
造り。。
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この時、安東縣の文字に引っかかったのですが〜
後日調べたら
旧満州国の地名だったんですね。。
時・人・物資の流れ〜〜
神社はタイムカプセルのよう!
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正一位稲荷の眷属のコン吉。。
※耳が無い。。
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奉納絵馬〜
何か合戦の模様?
と思っていたら…
一番下の写真参照。。
※義経合戦の図
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大正期に
社殿が立派に成ったのか?
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浮の巨匠〜
撮影風景。。
※探索中〜
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力石も〜
※石灯篭の名残。。
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昭和初期の家屋
丸ポストも背伸びして。。
※近くの広場(稲荷川原)でも
屋台の準備。。
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ここで上の絵馬の解説が〜
姫路の朝日谷・愛宕神社が有名だそうで。
ここでは昭和11年が最後だったそうで〜
古くは雨乞いの儀式…へぇ〜〜〜
※火揚げとは、男柱や親柱と呼ばれる長い竿(さお)の先端に、
わらを詰めた円すい形の籠(かご)を取り付け
、松明(たいまつ)を籠へ放り上げる火祭りのこと。
『姫路市市長公室広報課』より |
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