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郷社式内与杼神社さん まだまださん嬉しそう〜 淀・納所・水垂・大下津の 産土(うぶすな)神として鎮座 |
桂川河川敷の拡幅工事が実施されることになったので、 本殿以下の建物は、明治33年5月24日付の神社移転許可により、 明治34年7月移転工事に着工、翌年5月完成、 明治35年6月21日、神社のすべてが現在の淀城址内に遷座されました。 (神社HPより) この石碑も移設したんですね。 ※ |
車講 大峰山 金比羅さん 不動さん 色んな講中が有ったんですね。 |
石燈篭〜 ※延宝五年(1677年)製 |
燈台のような常夜燈。 ※う〜 モザイクと言うか 新しい形の燈篭 |
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オジサンが嵐のように去った後を ゆっくり、もう一度〜 井戸跡です。 ※中には水面が光ってました。 |
三橋道也さんの 『古城』を思い出しながら〜 ※内堀の外に 自転車置き場も 沢山有るのに。。 |
ここで、もう一人の方との出会いが… 仮名のコンさん まぁ、もう一度説明してあげると。。。 ※この方、某国立大学の 考古学の先生の下で遺跡発掘されていたとか。 山陰地方での古墳発見の物語も リアルに教えていただきました。 |
大判小判を夢見ながら〜 と思えば… この城は、徳川氏により 徹底的に破壊された豊臣氏の 伏見城の城材を使用したと。 戦後、この堀と天守閣跡を 掘り返した輩が居たとか〜(コンさん談) それで、天守閣の石垣は 綺麗に積んでいたと納得! ※ |
大きなヒマラヤスギ が歴史の証人。 ※庭園や街路樹等として明治初期に 日本に導入されたとか〜 |
その時の、お話では この穴は、入城を断られた 幕府軍が城にめがけて 銃を打ち込んだ痕とか。(コンさん談) でも、それにしては 穴と樹木の大きさが微妙なんですが…(と、私) ※ |
左上の石には 黒田家の紋も〜 ※ |
ここにも丸に十の字 ※この石のカーブは 伏見城からの二次使用(コンさん談) とか |
手水鉢を撮影してたら〜 ※米問屋だけの奉納者は 御存知、淀屋辰五郎だそうです。(コンさん談) |
少しコナレ過ぎ気味の 稲葉神社さん ※狛犬は、なにわ型 |
病気治療中との事、 お元気で〜! ※ヨウ知ってる、ニィチャンやでと… |
残念ながら本殿は、昭和50年8月5日午後4時30分頃、 未成年者達の花火(飛翔性花火)遊びにより 国指定の貴重な重要文化財は全焼してしまいました。 (神社HPより) 何するネン!残念〜 ※伏見城から移築の拝殿とか(コンさん談) 前に同じようなに会いました〜 |
大坂淀屋の 石燈篭 ※神心石 やはり伏見城からの 石材で神の文字が 入っていたので石垣に 使用は控えたのでは?(コンさん談) |
なんやかんやで 天皇以前の歴史や古墳、 神様の話を教えて頂き 感謝して城跡を出ます。 一時間半程掛かりました。 走行10m〜新記録!^^; |