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競馬だけではありません〜
淀城・与杼神社(03)


桜は咲いて馬券は散るの??
辺りを、まだまださんとポタリ〜
巨椋池の名残も探して…
JRAのお膝元〜
※マウスポインターを置いてください。 

             撮影:平成22年04月29日  

郷社式内与杼神社さん
まだまださん嬉しそう〜

淀・納所・水垂・大下津の
産土(うぶすな)神として鎮座

桂川河川敷の拡幅工事が実施されることになったので、
本殿以下の建物は、明治33年5月24日付の神社移転許可により、
明治34年7月移転工事に着工、翌年5月完成、
明治35年6月21日、神社のすべてが現在の淀城址内に遷座されました。
(神社HPより)

この石碑も移設したんですね。



車講
大峰山
金比羅さん
不動さん
色んな講中が有ったんですね。

石燈篭〜

※延宝五年(1677年)製

燈台のような常夜燈。

※う〜
モザイクと言うか
新しい形の燈篭



オジサンが嵐のように去った後を
ゆっくり、もう一度〜
井戸跡です。

※中には水面が光ってました。

三橋道也さんの
『古城』を思い出しながら〜

※内堀の外に
自転車置き場も
沢山有るのに。。
 
ここで、もう一人の方との出会いが…
仮名のコンさん
まぁ、もう一度説明してあげると。。。

※この方、某国立大学の
考古学の先生の下で遺跡発掘されていたとか。
山陰地方での古墳発見の物語も
リアルに教えていただきました。

大判小判を夢見ながら〜
と思えば…
この城は、徳川氏により
徹底的に破壊された豊臣氏の
伏見城の城材を使用したと。
戦後、この堀と天守閣跡を
掘り返した輩が居たとか〜(コンさん談)
それで、天守閣の石垣は
綺麗に積んでいたと納得!



大きなヒマラヤスギ
が歴史の証人。

※庭園や街路樹等として明治初期に
日本に導入されたとか〜

その時の、お話では
この穴は、入城を断られた
幕府軍が城にめがけて
銃を打ち込んだ痕とか。(コンさん談)

でも、それにしては
穴と樹木の大きさが微妙なんですが…(と、私)



左上の石には
黒田家の紋も〜



ここにも丸に十の字

※この石のカーブは
伏見城からの二次使用(コンさん談)
とか

手水鉢を撮影してたら〜

※米問屋だけの奉納者は
御存知、淀屋辰五郎だそうです。(コンさん談)

少しコナレ過ぎ気味の
稲葉神社さん

※狛犬は、なにわ型

病気治療中との事、
お元気で〜!

※ヨウ知ってる、ニィチャンやでと…

残念ながら本殿は、昭和50年8月5日午後4時30分頃、
未成年者達の花火(飛翔性花火)遊びにより
国指定の貴重な重要文化財は全焼してしまいました。

(神社HPより)
何するネン!残念〜

※伏見城から移築の拝殿とか(コンさん談)
前に同じようなに会いました〜

大坂淀屋の
石燈篭

※神心石
やはり伏見城からの
石材で神の文字が
入っていたので石垣に
使用は控えたのでは?(コンさん談)

なんやかんやで
天皇以前の歴史や古墳、
神様の話を教えて頂き
感謝して城跡を出ます。
一時間半程掛かりました。
走行10m〜新記録!^^;
エエ天気に誘われて〜
まだまださんとタンデム〜
何所イキマヒョか?気に成るとこまで。。

かもさん、浮ドン、
ねずみ君、福ちゃんは
お休み。。
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