|
往時の弓削の地は大和川が二つに分かれる二俣から北、三角州の中にあり
(今の東弓削から八尾木あたりか)
往古から難波津に着いた大陸からの旅人が都のあった大和へと向かう、
その街道筋にあって、大陸文化を肌で感じることができるような地であった。
また古くは物部氏などが栄えた地であり、そうした豪族や名家たちがたくさん住んでいた。
こうした土地柄が白鳳から天平、奈良時代にかけて、
弓削周辺の郷から優れた僧侶の輩出する要因になったことは否定できまい
弓削道鏡は日本の三大悪人の一人との異名
何か、そうは思いたくない街の雰囲気。