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大和川川跡を探して(12)

大和川付け替え300年記念を祝して〜

 往時の弓削の地は大和川が二つに分かれる二俣から北、三角州の中にあり
(今の東弓削から八尾木あたりか)
往古から難波津に着いた大陸からの旅人が都のあった大和へと向かう、
その街道筋にあって、大陸文化を肌で感じることができるような地であった。
また古くは物部氏などが栄えた地であり、そうした豪族や名家たちがたくさん住んでいた。
こうした土地柄が白鳳から天平、奈良時代にかけて、
弓削周辺の郷から優れた僧侶の輩出する要因になったことは否定できまい

石井行政書士事務所 
同郷人・弓削道鏡再考:抜粋

弓削道鏡は日本の三大悪人の一人との異名
何か、そうは思いたくない街の雰囲気。


                             撮影:平成19年05月26日  

ただの水路となった
長瀬川

※住宅も中々〜

JR志紀駅へ
頭上注意!

※&前方注意〜^^;

R25、あまり走りたくない道路です。

※駅到着〜
懐かしいなぁ30年振りですわ。。
遅い昼ごはん此処で食べました。

式内河内大社弓削神社
此処には旧大和川(久宝寺川)と
JR関西本線・R25とを
挟んで東西に2社有ります。
まず東側から〜

※鳥居と社殿のあっさりとした
神社です。


拝殿です。
狛犬も天保製なにわ型。。

※拝殿からの本殿

本殿跡は未だ東に300m離れた
小字古宮に有ったとか。

※枚岡、恩智社に続く河内三大社の一つですと。。
物部氏の弓矢を担当し弓を削った部署なんですって。

堂々の江戸期の型。

※天保十年九月がはっきりと…

合体合祀された神様も。。

※不届きモノ〜
再選泥棒なんて…
罰が当たりますぞ〜

東向いたら生駒の山も…
住宅も。。

※もう一社目指して。。

お宮の裏は〜

虫籠窓に格子戸〜
蘇鉄、路地・・・

※綺麗に残されています。

砂路地〜

※壁埋め地蔵?

お寺の鐘楼

※コナレタ風景〜

JRの踏切を越えて
西側に。。

※30年前と変わらぬ風景〜
初めは大志を抱いて〜
其のうち、いつものように神社巡り。。^^;
おもろいヤン!
近鉄に乗って〜カモサンは自走!
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