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一本一得!の下に 歴史の証人が… ※地蔵様だけだと思っていましたが〜 |
皆は… 神社へ〜 ※地蔵様の後ろに 南無阿弥陀仏 無縁仏でしょうか? |
ん?何か〜 ※釋文 溜池掘抜顕彰碑 文化四年〜弘化三年の40年掛かったとか。 古代僧 行基の教えで普及した溜池を 一庫の山奥に作り山腹に溝を巡らせ水を引いていた。 漏斗池・中池・奥の池を増築しても水不足は解消しなかった。 中世も過ぎて多田銀山間歩の掘抜技術の応用策が 度々画策されたが資金難で断念。 その後、江戸期には人口増と天災等の飢饉などで 食糧難に成った。 しかし発起人を中心とした掘抜工事は困難を極め 二世代40年にわたり難工事と借金を重ね 深山池・漏斗池の二隧道(延1km)が完成した。 明治元年の神仏分離令で此の地に移管された。 (碑文は仏教?あ!そうか〜行基さん) |
猫の足跡… ウイスキーキャット・タウザーみたい。。。 ※後で此処を下ります。 |
高皇産霊神社(タカミムスビ) ※ |
古事記・日本書紀の天つ神三柱 神功皇后に美奴売山の杉で船を作り、新羅に攻め込めば成功する。 大路次川より木部・神崎に送り〜(摂津風土記) 神功皇后の凱旋を祝し住吉神社建立の造営材を献上(大社神代記) 聖武天皇に奇妙山銅鉱脈を発見、奇妙山神教間歩と称し、 奈良東大寺大仏鋳造時に銅を献上(続日本史) 平安・鎌倉期には神域拡張、惣入会地により自治化 戦国期以後は豊臣・徳川の直轄地 江戸期には掘抜完成 明治期は隆盛なれど、大正昭和期に荒廃し 昭和四五年に一庫ダム工事より本殿社から順次 新改築されたとか。 古い歴史ですね。 一庫ダム工事にはオジサンが出稼ぎで 掘削工事に従事していました。 飯場に遊びに行った思い出も〜 |
天然石利用の お百度石 ※欅も〜 |
手水鉢 ※水力による菜種・綿実油、造り大臼 打抜水路利用でしょうか? 稲作にお裏作や畑作でしょうか? |
高島先生ありましたで〜 浮ドンが報告済みかも… まださん持ち上がりますか?? ※旧の手水鉢も〜 |
旧の石鳥居を継いで… ※欅〜 |
本殿社へ〜 ※神輿庫 羽釜など 展示されています。 |
拝殿社 ※中々の狛犬 |
標高110m ※ |
大正の御太典記念碑 珍しいですわ! |
摂社 春日神社 ※山神社・大将軍社(和気清麻呂?) |
秋葉神社・出雲神社 ※八幡神社に… 二社は不明〜 |
本殿社覆屋 ※拝殿正面 |
正一位稲荷社 |
修道記念碑 ※御太典記念 |
比高差20mの 急坂を下ります。 ※標高85m |
178mの峰を後ろに〜 一庫ダムも寄って居ません。 一庫大路次川横〜 ※ナンチャッテ風の 蔵ですね。 でも、旧道 |
一庫大路次川横を〜 大きな道を渡ります。 ※川沿いの道 かなり細いなぁ〜 |
ほとんど里山道。 |
これ渡ります。。。 |
ん? オジサンが不思議そうな顔して〜 ※国土基本図では 軽車両扱い でも、本日一番狭かった道に… 徒歩道扱いでも良いのでは?? |
まだ広い方です。 脇は突抜の水路です。 ※マジですか〜! の声が… |
仁川の大井滝用水トンネル部 思い出しながら〜 同じような地形です。 ※おお?? 木が倒れています。 |
フィールドアスレチックみたいな〜 ※まだ広い方〜 |
トンネル整備された突抜。 カダフィは? なんて声も… ※今日一の難関 三本単管 道が崩れています。 |
やばい… ※ |
ガンバ! ※少し広く〜 |
一庫大路次川は 水量がありますが、 田や畑に引き入れるのには段差が〜 ※脇の水路はトンネルの中〜 |
岩を削って道を付けたのでしょうね。 鏨の跡は〜 ※素掘りの水路〜 高さ1mほど、幅50センチほど |
もう一箇所〜 此処も入口は整備されています。 ※出口〜 |
向こうの道なら楽なのに… の、声も無く〜 変な一団。 ※500m程の工程でしたが… |
お疲れ様〜 ※堰も… |
栗の毬 落ちる道筋 ペダル漕ぐ(駄) ※いきなり住宅地(緑が丘) |