|
江戸初期には桑山元晴二万六千石の城下町であったが、
寛永6年に廃藩、その後は天領として代官所が有ったとか。
南葛城郡の中心地でもあり、接する街道も多く交通の要所として
商業が発達し中でも大和の薬売りとして家庭常備薬の製造、行商や
昭和の一時期は小規模の工業が盛んで、
18世紀に書家浅野新七が考案した大和絣の伝統からの
莫大小(メリヤス)工業やスポンジ履物に関しては
全国生産の80パーセントを占めたとか。。。
其のせいか、この辺りには近鉄南大阪線、同吉野線
盲腸線である近鉄御所線やJR和歌山線等が
犇き合っています