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旧加美正覚寺村に入りました。 ※ |
榎不動明王 小さな祠が 昔はたくさん有ったんでしょうね。 ※祭り装束露地 提灯が揺れてました。 |
新旧入り交じって〜 ※ |
黒壁蔵に背の高い屋門 ※フォトスタジオの向こうに お宮さん。 |
埋め込まれた地蔵堂 |
旭神社さんに着きました。 東参道 ※まだ少し集合時間には 早いので、お参り散策します。 成程〜国旗掲揚台以外に こんな使い方〜石柱 |
神提灯の準備中〜 ご挨拶させていただいて 力石のことを聞けば〜 昔は在ったとか。。 宮司さんに聞いてみたらと〜 ご近所の方 ※ |
社務所 ※お参りして〜 大阪北摂部、八尾から奈良で見た拝殿形式 |
河童顔の狛犬 河内砂岩のためか? 整形されてます。 ※哀愁のある後ろ姿。 なにわ型 |
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阿 ※吽 |
旭神社の大銀杏〜 大阪府の天然記念物だそうで。。 ※空にむかって手を広げて〜 |
大きな一本の木に見えます ※ちょっと引きました〜 昭和5年国勢調査記念碑 石が新しいので銅像は 戦時中供出されたのか? |
摂社 稲荷社 ※西参道方向 |
楠と遥拝所 御所方向 ※大きな榎 |
遥拝所風景 ※手水鉢 |
ん?皇太子ご降誕記念碑 ※昭和9年銘 平成天皇さん |
正覚寺城跡 応仁の乱後も畠山政長・義就の確執は続き、畿内の各地で戦乱が続いていた。 義就の死後、将軍足利義稙を擁する畠山政長は正覚寺城に本拠をおき、河内の平定にのりだしたが、 明応ニ年(1493)四月の正覚寺合戦において義就の子、豊丸の逆襲により政長は敗れ、 同月二十五日に自刃した。(正覚寺合戦)。 天正五年(1577)には織田信長が本願寺攻めのために本陣をおいた旭神社が城跡。 ※大阪市編入30週年記念碑 |
※カリンでしょうか? |
手水鉢 ※拝殿 |
宮司さんにお尋ねしたら 教えて頂きました。 力石(さし石) ※ |
立派な石達です。 高島先生の名を出したら、 2〜3年前に来られたと…流石〜 ※ん?カーター(当時)大統領写真 上の段のお守りの真ん中の イチョウの葉が大阪市の歓迎品だとか… この近くの工場で作られた物で 銀杏の葉を乾燥させて、純金メッキされたものとか〜 先代の工場社長しか作れなかったと伺いました。 |
此処にも大きな樹が在ったんでしょうね〜 ※神社参道前の稲荷社 |
南側 森が砦のように見えます。 ※西側 |
橘湯さん ※悲しい風景〜 |
見返れば〜 ※正覚寺祭り保存会。。 旭神社御祭礼では無いの?? |
東方向の参道から〜 丁度、此処でカモさんから連絡入りました〜 |