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水騒動、火垂るの墓と震災と(04)

御冥福を祈りつつ…

戦国時代後半から上ヶ原新田、六軒新田など
新しい緩傾斜地や六甲山からの中位段丘層に
新田開発を盛んに行ったようです。
でも、寛永18年(1641年)に起きた旱魃の際、
社家郷(しゃけごう)村(西宮神社を守る家々の意味:広田、越水、中村、西宮郷)の農民は、
「社家郷山(仁川上流域にある社家郷村の持ち山)から出る水は社家郷村のものである」
と主張して自分の村に仁川の水を引こうという大胆な発想をしました。
水利慣行は昔から大変強く、仁川の水を水系を変えて夙川に導くことは大変なことで、
工事も岩山を越えて夙川の支流・水分け谷までの水路を作らなければならない難工事でした。
それまで仁川の水を利用していた下流の農民が工事を阻止しようとするのは当然のことです。
昼、社家郷村の人々が水路工事をすると、
夜ごと仁川下流の村人が水路を埋めるという繰り返しでした。

(HP:西宮の新田開発と用水の歴史参照)

                             撮影:平成19年09月23日  

広田神社の杜の裏にて

※飲料には適さない湧き水が〜

何回も来てるのに
こんなの知らなかったと〜
浮ドン唸る。。
上の段の説明にある『兜麓底績碑』
中村治部紋左衛門の水利功績の碑
ですって。。

毎年阪神タイガース優勝祈願で有名な
廣田神社(コバノミツバツツジの
開花時期は綺麗ですよ)

参道の松林は
両側に続きます。



カルガモ農法の担い手達。。

※昔の参道の松は
もっと樹勢が盛んでした。

長い時を掛けて〜
これからも
綿々と続く道。。



神社敷地はもっと今より
広かったんでしょうね。

※いずれが菖蒲か杜若。。

迷路のような
路地を…

※古い地蔵様が〜

見つけにくいところに有ります。

※樹齢不明ですが
かなりの高齢な柘植の木

農機具の名残??

小さな信仰が此処にも。。

大社小学校脇に有る
越水城址の碑

※銅版〜読めん。。^^;

家屋が無ければ
見晴らしは良いかと。。

※これは遺構ではないでしょうが…

賽の神、小さな神社も〜
城中のもの??

※イヌビワも、もう少し

廣田神社末社ですって。

※神様も微笑んで…

西宮震災記念碑公園に出ました。

※公園内のモニュメント

西宮震災記念碑公園内の
慰霊塔
犠牲者の方に黙祷

此の門も
只者ではない。。

※此のベンチも?
今回は、浮ドンのホームグラウンド!
いつものように〜
神社巡りですが…郷土の歴史
+古墳もロマンも …
おもろいヤン!
カモサン、まだまださん、
ねずみ君福ちゃんは
お休み。。
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