大織冠神社
そういえば、大冠高校なんて有りましたね。
さらに想像力を豊かにすれば、地図上で三嶋江の「三島鴨神社」と赤大路の「鴨神社」を結び、
それを藤原鎌足(669年没)の墓と言われている「阿武山」と結び、
さらにそれを延長すると朝鮮半島の「百済」へとつながるのも単なる偶然とは云えないものがあるのではないでしょうか。
また阿武山は聖なる山で、その山麓に支配層が住み、総持寺の周辺に民衆が住んでいたと思われます。
と言うのも、総持寺古墳群の周辺からは今でも地鎮祭の時、面白いように生活土器が出てくるからです。
(賀茂神社HPより)
※周りは完全住宅地なんですがね。
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山登りみたいです〜
※将軍塚
平安時代中期から、藤原鎌足公の墓所は、
初め「摂州の安威にあったが、後に大和多武峰に改葬された」
との説があり江戸時代に此の塚をあてるように成った。
(看板より)
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頂上部分に有ります。
※ガッチリ施錠されています。
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大織冠
※此の段差
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脇道行けば〜
※将軍山古墳
昭和31年に後円部が発掘調査されたが、
その後、住宅造成のために破壊される事に成り、
昭和39年に全封土にわたって調査され全く姿を消した。
中略
石室を移築したのが、現在のこれである。
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此処なんですがね〜
開け放ちで大丈夫??
※ふぅ〜むと…
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此処も分かり難いところにあります。
※今なら開発許可出るかは???
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もう一度〜
※カモさん
お疲れ様!又遊んでや!! |