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赤大路交差点(朱〜水銀地名ではなんて考えて…) この辺りに賀茂神社があると〜 此処も又住宅地の中を探してました。 ※見っけ! 創建年紀は不明なるも、初代神武天皇から第九代開化天皇(四世紀初め)までの奈良 葛城王朝を支えた「鴨氏」により三世紀頃に創建されたとの伝承がある。 又「伊予風土記」では「仁徳天皇のころ、最初攝津の国、御嶋の地に座した」とあり、 それは「続日本記」の「別記」によれば、「摂津の国嶋下郡三嶋鴨社なり」とある。 即ち往古よりの「嶋氏」始建に加担するかたちで百済系の渡来人がその頃創建したもので、 当社からの分社の「三島鴨神社由来」では 「地所は、島上郡、島下郡の中間で三島藍の陵(継体天皇御陵)より巽方四丁(約四百m)にあり往古は小社にあらず」とある。 然る後、当社「大山積命」を守護神とする右記百済系の「三島氏」が 百済との海上交易を深める為、当攝津の国から愛媛県の伊予大三島に「三島大社」を勧請し、 後の三島水軍の守護神となった。 また、伊豆にも東上し、伊豆の「三島大社」をも起すなど、当社は全国千数百の三島神社の発祥の大本の地でもある。 (鴨神社HPより) |
参道は人の家裏〜〜 |
平清盛 縁之神社とか… 高倉天皇(即位1168年)由緒 平清盛の妹で、後白河天皇の中宮、建春門院が皇子誕生を当社に祈願したところ、高倉天皇が生誕され、 これを祝し京都に「三島神社」(五條坂)を造営された。 尚、高倉天皇の中宮は、平清盛の次女で後の建礼門院で、その子が安徳天皇である。 (鴨神社HPより) ※ |
妙にポカンとした境内です。 ※手水鉢 |
使い方〜 ※昭和43建設の 社殿 何かなぁ〜 |
昭和43年の狛犬 変わった形〜 ※神社明細書 |
鴨神社の南東に隣接するマンション建設に伴って平成12年に行われた発掘調査では、 720年代の赤土の地層から柱か柵の跡が発掘されました。 赤い土層でしたから赤大路の名前の由来に意昧があるのかもしれません。 取手の付いた土器も出土しています。 本殿は昭和43年に現在の鉄筋に建て替えたのですが、その時発掘調査しなかったのが残念です。 (鴨神社HPより) |
※見ようっと〜 面白いんですがね…大河ドラマ! |
五角型の絵馬 ※おもちゃがほしいです。 (消して) みんなとなかよくなるように〜 かよりチャン!正直な子。。 |
大蛇祭りが有るとの情報もあったんですが〜 ガセみたい。。。 ※境内のみが残された感じの 周りはマンション&住宅地 |
稲荷社 ※ |
住宅から見下ろす感じの参道 ※玉垣に日立造船も氏子さん? 日立グループか・・・ |