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一遍上人示寂の地 真光寺 兵庫七福神・福禄寿 ※ぶらりと〜 |
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須佐の入り江の目印となっていた 和田の笠松 ※秋風の吹き来る峯の村雨に さして宿借る和田の笠松 藤原為家 鎌倉時代初期の歌人 |
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マップで確認 ※便利です〜^^ |
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中国の宋と交流した清盛 一遍上人・高田家嘉平・ 勝海舟・伊藤博文 を思いながら〜 ※ドラえもんのどこでもドアのイメージで… (看板より) |
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兵庫大仏の前にて ※鐘楼は無し |
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神戸事件 文化の違いによる事件。 横浜でも〜有りましたよね。 でも、公式な行列を横切るのは 西洋でもマナー違反では?? ※瀧 善三郎正信の碑 |
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酸いも甘いも すべて 大仏様が見守られて〜 ※落ち着きますな。。 |
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藤川球児や〜!と… 浮ドン。。。 インド的な面持ちの弥勒菩薩 (だと思いますスミマセン) ※天真獨朗 |
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弥勒菩薩横にひっそりと〜 汽船豊瑞丸沈没死者追悼紀念碑 ※調べると 汽船豊瑞丸は1856年にイギリスで製造され 元治元年(1864)に引き渡されている。 明治7年(1874)長崎から神戸へ航行中機関爆発し沈没。 明治29年(1896)6月13日 汽船豊瑞丸・汽船河野浦丸の衝突事件発生 (広島県大久野島灯台付近)16人死亡 (国土交通省海難審判資料より) 曰く付ですね。 |
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本堂は京都東山の月輪御陵にあった 拝殿「月輪影殿」を昭和28年(1953年)に 宮内庁と九条家より拝領し移築したもので、 歴代天皇が参拝した由緒ある建物といわれている。 ※ここの灯篭も 欠けた所が残ったり 修復されていました。 |
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力石では? 多宝塔の頭でしょうか? 高島先生〜如何でしょうか!? ※當勝稲荷さん |
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兵庫七福神・毘沙門天 前出の北風家の墓所も… 能福護国蜜寺寺天台宗。宝積山(ほうしゃくざん)。 本尊は秘仏・薬師如来。 延暦24年(805)最澄により能福護国密寺として創建された 日本最初の密教教化霊場。 治承4年(1180)平清盛の福原京遷都計画にともなって 平家一門の祈願寺に定められ、大伽藍が建設されたが、 その後兵火により灰燼に帰した。 1599年(慶長3年)に明智光秀の臣、長盛法印が 再興したという伝がある ※このアングルも好きですわ! |
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毘廬舎那仏(光明遍照)像で、像重量約60t、像高11m、 蓮台と台座を含めると 高さ18mになる巨大な坐像。 ※1880年撮影(私じゃぁ無いですよ^^;) 豪商・南条荘兵衛の寄進により1891年(明治24年)に 建立されてから金属回収令で国に供出される 1944年(昭和19年)までの間、 奈良・鎌倉に次ぐ、日本三大大仏の1つに数えられた。 |
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平相國廟(へいしょうこくびょう) 養和元年(1181)清盛の死後、能福寺の寺領内にあった 太平山八棟寺に墓所平相國廟が建立されたと云う。 平家滅亡と共にことごとく破壊された。 弘安9年(1286)2月、北条貞時が一基の石塔を建て、 清盛の霊を弔ったのが現在に伝わる清盛塚十三塔である。 清盛公800回大遠忌を迎えるにあたり平家物語類書にも 有名な平相國廟を昭和55年2月建立復興した。 ※ |
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後ろの正面〜 見に ※ |
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近くの 神明稲荷さん ※ |
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次へ〜 ※後日、今です…気が付きましたが〜 布袋尊 柳原天神社に行ったら この日、兵庫七福神巡り だったんですわ〜残念! |