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カモポタ(1)
旧:多田院

JOLYさん我が家の近くにも有りマッセ!
kamonegiさんからのメールを受けて・・・

高野山にも負けない位?の
信仰が有りました。
清和源氏の名の下に〜

浮ドンは本日普段の(小ポタ)放蕩?
のせいで子守とか・・・
『ざまーミロ!』〜なんて言いませんよ…大人やから。。^^
撮影:平成17年 3月13日  

出発直前!
新しく手に入れたブロンプトンちゃん購入記念〜
で、カモネギさんは張り切っていました!

輪行は電車を使わずに〜
自動車で・・・
(袋が要らないから楽!)

天気は良し!ポタ日和。。
気温は少し低め〜梅は満開!
でも、石段はしんどい!

階段を登り〜振り向くと…
赤橋ですって〜
後でね・・・

多田神社は、天禄元年(970)に創建され、元多田院とも、
また、多田大権現社とも言われ、関西日光の称ある大社です。
 御祭神は、第五十六代清和天皇のひ孫贈正一位鎮守府将軍源満仲公をはじめ、頼光、頼信、頼義、義家の五公をお祀りしていることから、源氏発祥の地と言われています。(多田神社HPより)

石畳が綺麗に〜

昭和4年〜
大阪市内から奉納に
持って訪れたんでしょうかね?
宅配便はないしなぁ〜

多田神社においては
写真以外は何もとらずに
足跡以外は何ものこさないで
ごみはかならず持ち帰りください〜
と・・・
へへ〜〜っ肝に銘じておきます。。。

むぁ〜何??
一時呆然〜!
鬼瓦と言って良いのでしょうかねぇ。。

裏門です〜
(なんか観光ページみたい・・・)
徳川家の家紋に???
だったんですが〜

 延享2年(1745)の御家人由来伝記によれば天正5年織田信澄の手によって焼失した。しかしながら徳川四代将軍家綱は社勢衰徴を憂ひ、寛文5年(1665)社領五百石を附し、朱印地となし、同7年には再興の社殿が落成した。そして、元禄8年(1695)社殿の修復を経て今日に至っているのである。その結構荘厳雄偉は西日光と称せられ関西屈指の大社である。(多田神社HPより)


多田神社の横の道路は
結構急な登り〜
軟弱ご主人を横目に一休み・・・

カルガモ親子状態の石の中には
空臼は無し〜


この先下りなんですが〜
無計画な宅地造成のお陰で〜
下手したら又引き返さなければと・・・
止めておきます〜^^;
(でも、自動車以外は通り抜けできるんですよね
この書き方じゃぁ)

ありゃ〜と言うくらい大きな農家。。
神社直ぐ横〜

大黒屋さん〜旅館だそうです。。
裏面は川に面して〜

街道沿いには〜
何とか残っています。
なんとかね・・・

こなれた小屋やなぁ〜
と覗いたら〜観音様とお地蔵様が・・・
日々の信仰が〜

神社の前の赤橋を渡って振り返ると〜
平屋建ての茶屋は下に3階建てでした・・・

バヤリースでもなし〜キリンでもない
増してやファンタでも・・・
ミッションて・・・二人で唖然!
裏面はミッションコーラ〜。。。

治水が出来ていなかった頃は〜
此処まで台風の水害が・・・
って〜只の不動産屋の看板かと思いました。。

空臼に続いては〜
これ・・・
何でしょうか?浮ドン。。。

やはり旧村落跡には
私達の望むものが〜^^
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