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当会は十年目に突入しました!
オープン前のスカイツリーが有る風景を見に
正月の東京下町をポタリ~
東向島、鳩の街(10)


今回は、みなみ様とタンデムポタ
えっ?お互い自転車では未踏地。。。

今回、テーマはスカイツリー

※マウスポインターを置いてください。 

             撮影:平成24年01月03日  

東向島へ~

※なんか気になる~

 鳩の街商店街入口

鳩の街(はとのまち)は現在の東京都墨田区向島と東向島の境界付近にあった赤線地帯。
地理的に「玉の井」と近く、1kmほどの距離である。
太平洋戦争末期に、東京大空襲で玉の井を焼け出された業者が何軒か、この地で開業したのが始まりという。
終戦直後は、米軍兵士の慰安施設として出発したが、兵士が性病に感染することが多いため、1946年(昭和21年)に
米兵の立ち入りが禁止された。
その後、日本人相手の特殊飲食店街(赤線)として発展した。
この街の店舗は、警察の指導でカフェー風に作られた。
1952年(昭和27年)現在で、娼家が108軒、接客する女性が298人いたという。
また、吉行淳之介の小説「原色の街」の舞台となった。
さらに、永井荷風がこの地を舞台に戯曲「渡り鳥いつかへる」「春情鳩の街」を書いている。
これらの荷風の2作品は、久保田万太郎の手により構成され「『春情鳩の街』より渡り鳥いつ帰る」として映画化され、
森繁久弥、田中絹代、高峰秀子、岡田茉莉子らが出演した。
玉の井と同様に、この街も訪れる作家や芸能人が多く、
吉行や荷風の他、安岡章太郎、三浦朱門、近藤啓太郎、小沢昭一などが、出入りしたことが知られている
また、女優・歌手の木の実ナナがこの地で生まれ育ったことで有名である。
1958年(昭和33年)4月1日に売春防止法が完全施行され、すべての業者が廃業。
最終日の3月31日には「蛍の光」を流して別れを惜しんだ。[1]跡地は商店街やアパートなどの住宅となった。
(Wikipediaより)


アーチの時計が目に付きます。

※脇道も気になります。

迷路城??
お医者さんです。



何気ない商店街の面持ちなんですわ!



角石付きの路地

※シャッターが閉まった
貸家札が目に付きます。

平日に来たかった~




区立寺島保育園



私道札~
エエなぁ

※正月風景~

公衆電話看板も…

※銅板葺壁

長屋カフェ
こぐまさん

※小窓も~

焼きカレー

※焼きオムレツ
美味しさ絶品でした!

戦前からの薬局だったとか~



ヒロポンなんてのも
売っていたんでしょうね。

※無いわな・・・

まぁ~何にせよ残して欲しいですね。



此の角に
木の実ナナも遊んだ??

※カネコ薬品

 水琴窟

※松の湯サン

松の湯と米屋さん
手摺が良いですね。

※こぐまさん

緑色の引き戸気になります。
散髪屋さん??

裏道に~

酒屋さんと薬局(化粧品屋さん)

※ラモナー化粧品
ネットで調べたら
百年の歴史を持つ化粧品製造会社

ムームーを着たような酒屋さん
家屋の形状は
ミスハワイさんを思い出します。
今ならイククルさんみたい~

※飾りもお洒落~

松の湯さん
煙突~

※裏通り~

路地電球~
将来はLED?

※アールと
二階の窓枠がいいですね。

路地の奥から呼ばれてるような~



110番連絡実施棟
警視庁向島警察
向島アパート防犯協会
ホーロー看板

※飾り柱も~

御洒落角家



タイルも~

※此のお洒落な窓から
顔見せしてたんでしょうか?

色んなドラマを見たんでしょうね!



モルタル芸術家屋

※木製窓枠が良いですね。

更地は寂しい~

鳩の街から
スカイツリー

※ポンプ生きてます!

昔の正月は~なんて話されていました。

※みなみさん二回目とか。。




スサ◯調薬薬局
薬局が多い地区

※国道6号

夕日に~
急ぎます。。

※趣きのある家屋~

路地奥に秋葉神社



薬局も~


東日本大震災、台風被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。
何か、大阪の路地風景にも似ています。
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