根来の寺内町の西側の住持池と
泉佐野岩出線に挟まれた場所に有ります。
創立年代等詳らかではないが今尚寛文12(1672)年辰5月(皇紀2332年)と記された棟札を保存している。
元今宮大明神社と称され村の西住持ヶ池(別名住蛇ヶ池)の東側の小丘地に鎮まる。
当根来地区(旧西坂本)には他に御船明神社・山宮大明神社等の神社があったが
次々と今宮神社に合祀され、明治40年坂本神社と改称された。
明治40年以降に合併合祀された神社は、山宮神社・春日神社・三船神社・白山神社・八坂神社・蛭子神社・稲荷神社である。
境内社の水神神社は、住持ヶ池の水神を祀って居った社である。
尚、昭和61年秋に社殿他の建造物老朽化が繁しく原形復旧出来ない程に痛んだため、全面改築改修を行い、
敷地の整備等全てに面目を一新し、特に本殿は台湾檜を用い郡内屈指の大本殿となった。
更に面白いのは、当社の社殿に安置されている狛犬は、本殿、末社ともに3対全て土瓦製である。
思考するに、当地は殖安姫を祀る事からも判る様に粘土の産地であるので、多分その為と思われ、彩色されていた跡がある。
『紀伊続風土記』巻之二十八那賀郡弘田荘西坂本村の項には次の如く記されている。
「今宮大明神社 境内除地村の西住持ヶ池の側にあり村中西側の人家の産土神とす神主を藤本氏といふ」
「御船明神社 境内除地村中にあり村の東側の人家の産土神なり祀神荒川荘神田御船明神と
同神にて天照大御神の御船に御し給ふ御魂を祭れるなりとそ」
「山宮大明神社 境内除地荒田今宮御船の三社を合せ祀る山に在すを以
て山宮大明神と呼来れり古は神職の者あり今は村中誠證寺支配すといふ」
「小社二社 白山権現 境内除地 村の西にあり 蛭子社 同 村中にあり」
「住持ヶ池 村の乾の山裔にあり此ノ辺の大池なり、
池の中に二ツの小島あり池の西の方堤の上に二ツの小祠あり一ツは水神を祭り一ツは
池を作りし住持の僧を祭るといふ因て住持房の社といふ
根来寺の住持此ノ所の地利を考へて池を作りて民の利を興す然れども年暦等伝らず文化某年五月頃より八月に至るまで
此の池のほとりに白鷺群集せしことあり其数大抵三万にも至るへし
何の故といふことを知らす村老伝へいふ当時を距ること五十年以前此事あり、
又それより前五十年にも此事ありといへり奇事といふへし」
(例祭)
例祭日には氏子中総出で祝い子供神輿を出し、提灯を吊し、更に境内で投餅が行われ大いに賑わう。
(和歌山県神社庁HPより)
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