蔵王権現として鎮座、大宝元(701)年。
『白山権現縁起箱写』(正徳5年)には「当初開起は大宝元(701)年亥丑年当時氏社蔵王大権現鎮め奉り神役等相勤め」とある。
明治44年に合祀した社の中に白山社の境内社であった蔵王社という記録はあるが、701年に鎮座した蔵王権現かどうか不明。
覚鑁上人白山権現を勧請。
長承2(1133)年春3月、根来開山の覚鑁上人のもとに「われを当山の巽の方に奉祀せば根来の繁栄疑いなからん」という白山大神の御神託があった。
そこで上人はこの地に加賀国石川群白山比咩神社をご分霊して巽の宮と称し、
北大池・南大池・水栖・東坂本4か村の産土神として社領200石を奉納したと伝える(『興教大師伝記史料全集』『紀伊国続風土記』)。
保延元(1135)年の南大池宮座記録によると、当時は春夏秋冬4度の祭礼を執行していたようである。
「春季祭二月朔月 祈念祭トス 投餅式アリ、夏季祭六月中ノ丑ノ日 夏祭トス、
秋季祭十月十三日 新嘗祭 当日ハ御幸芝七本松ノ大鳥居迄神輿渡御 矢武左馬ノ式アリ、
冬季祭十一月十三日 鎮火祭トス 当日火ノ庭ノ式アリ」この祭礼も天正13(1585)年根来寺焼亡の後に廃絶したという
今なお神前より鳥居まで南北6町東西3町、古の形が残っている『紀伊名所図絵』。
本殿再建。
根来寺と共に焼失したが、御神鏡が灰燼の中より出現、早速小社を営み鎮座奉りその霊応ますます崇め奉りし折、
文録3(1594)年興山(木食)上人により再建されたのが現本殿である(棟札)。
村社上岩出神社と改称、明治42年。
合祀、明治44年6か字の小社等32社を合祀、昭和12年大字山田の4社神社を合祀。
(和歌山県神社庁HPより)
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神仏合習の名残
木喰上人の足跡
前に~
※由来記~
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手水舎
※一段高く~
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神馬舎
※中には~
この木彫も色んな作者がいたんでしょうね。
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かなり広範囲から
合祀されたんですね。
廃仏毀釈とか神社合祀は近代史の
ブラックな処ですね。
※境内摂社
護国神社サン
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拝殿舎前
狛犬は新しい物でした。
※お参りして
本殿舎を覗いていたら~
宮司さんから中を見せていただきました。
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お邪魔します~
奇麗な檜皮葺社殿
※袖障子も~
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綺麗に彩色され見事です。
龍図
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蟇股も~
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木鼻
※彩色の手本は有るんでしょうか?
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鳳凰~
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袖障子
※本殿舎裏側~
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河岸段丘が一望で~
※石燈籠が沢山
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合祀された石燈籠でしょうか?
※梵字の書かれた石版は
神仏習合の名残ですね。
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境内にはニャンコが~
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百度石
※近くにはメダカの無人販売
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