一休とんちロード沿い ※薪区公民館 |
一本一得! 火の見櫓~ |
立派な公民館 ※脇に稲荷社? |
此処の境内材料でしょうか? 杯状穴が… ※ |
手水鉢 ※稲荷社ではなく 厳島社だそうで~ |
お邪魔して~ 向かって右側の 石燈籠の火袋が破損してます。 ※本殿舎 |
扁額 ※覆い屋付きですね。 |
顕彰碑 馬淵鏡?太郎書 ※ |
鉄道高架に見えますよね~ ※参道~ |
6m程の比高差があります。 ※石燈籠 |
鉄道と思えば~ 天津神川ですと… 天井川ですね。 ※棚倉神社碑 明治期の物 |
周りの家屋を見下ろして~ 下流側 ※上流側~ |
此処は前に~ 一段下がる参道 やはり天井川が この地に影響してるんでしょうね。 ※天井川(天津神川)に架かる石橋 |
御祭神は、大永6年(1526年)の棚倉孫神社紀によると、 推古(すいこ)天皇31年(623年)9月に相楽郡の棚倉ノ庄より 高倉下命(たかくらじのみこと)を勧請するとある。 別名を天香古山命(あめのかごやまのみこと)、また 手栗彦彦命(たぐりひこのみこと)とも申しあげ、 天照大御神(あまてらすおおみかみ)の曾孫(ひこ)で、 天神(あまつかみ)の直系である。 『古事記』や『日本書紀』によると天孫降臨(てんそんこうりん)に 父命(饒速日命)と共に降り紀州熊野に住み、神武天皇の東征の時、 布都御魂(ふつのみたま)の神剣を奉り大功をたてられたとある。 『日本三代実録』の清和(せいわ)天皇、貞観元年(859年)正月27日に 畿内七道諸神進階及び新叙があり、 267社の中に「棚倉孫神」が従五位下から従五位上の神位を賜った。 (京都府神社庁HPより) ※御神木 クロガネモチ 象の皮膚のような木肌 |
天井川脇から~ 道路との比高差! ※石段もコナレテいます。 |
この段差が珍しいと 浮ドン! ※低い軒と煙抜きが 特徴的 |
見上げたら~ ※この感じが いつもの神社風景 |
棚倉孫神社社務所 瑞饋神輿保存会 ※松寿院跡 社務所は寺院の名残なんですね。 元田辺小学校仮校舎 へぇ~ |
檜皮葺の手水舎 ※末社 金比羅社 河川運搬の名残 |
堂々とした 石鳥居 元禄期に淀城主の寄進だそうで~ ※境内風景 |
拝殿舎正面 ※石燈籠 |
拝殿舎扁額 |
案外スタンダードな狛犬 阿 左の燈籠は 擬宝珠型 ※吽 |
※ |
境内摂社舎 正一位宝蓮稲荷大明神、 紅梅殿・老松殿(菅原道真由縁の境内社) 松寿院が当時管理してたとか、 春日大明神・天照皇大神宮・八幡大菩薩、 多賀神社、稲荷神社 の五社 ※遥拝所 |
京都向いた遥拝所 御所?北野天満宮? ※ |
檜皮葺本殿舎 脇から~ ※ |
菊紋 脇の二つは外されていました。 梅鉢紋も~ ※銅の燈籠は 供出されたんでしょうか? |
もう一度~ ※奇麗な木彫も~ |
明治期中期から 瑞饋神輿を作り出したとか 何でやろか? ※賑やか・華やか ですね~! 豊作祝いでしょうかね。 |
境内見返して~ ※長寿地区でしょうね。 米寿を祝う「升掛け祝い」 |
桃園結義図(白川芝山) 絵馬を修理されています。 とても良いことと浮ドンと話しながら~ ※解説書も~ これまた~とてもありがたい! |
騎馬図(長沢盧鳳) ※剥離止め修理 |
前には~ 奇麗に再現されています。 ※雨請 孔雀図 |
境内で相撲巡業が有ったんでっすね。 ※天保期のレプリカ |
上の相撲の本絵だそうで~ ※孔雀図の本絵 |
龍雲図(岸岱) ※これも雨乞でしょうね。 |
船弁慶図(雅州) ※『船弁慶』(ふなべんけい)は、 『平家物語』、『吾妻鏡』などに取材した能楽作品。 表記は「舟弁慶」(また旧字で「船辯慶」、「舟辯慶」)とも。 作者はほぼ観世小次郎信光と比定されている (Wikipediaより) |
参詣図 ※此処の神社でしょうか? |
武者絵(義山) ※ |
武者絵(義山) ※上の作者と同じですね。 |
楓狩図 ※ |
合戦図 ※どこの合戦でしょうかね? |
天満宮燈籠 撫で牛も~ |
拝殿舎から見返って~ ※クロガネモチと 愛車達~ |
此処で警笛鳴らせは 迷惑でしょうね。 ※ |
この天井川地形が 気に成るようで~ ※参道~ |
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