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令和二年、2020年!今年は東京五輪!!の正月は~
暖冬の予感、しかしこの日は寒冷前線のせいで寒く
渡来人や有名人の足跡探して…
生駒山系の北側から東側の地区をポタリ~

気候は京都市内と同じような北山颪も!
あれって愛宕山!?
今ですよ今!
前には
~今回は浮ドンと!

京田辺市 西薪(一休寺) 06

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
JR大阪東線の恩恵で輪行ポタ~相棒自転車は…
私も浮ドンもブロ君でタンデムポタ!!
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和二年01月05日
                                           UP日:令和二年03月26日


金春能に始まり
次に宝生能、観世能は大住
金剛能は大和に発生とか



能(のう)は、日本の伝統芸能である能楽の一分野。
江戸時代までは猿楽と呼ばれ、狂言とともに能楽と
総称されるようになったのは明治維新後のことである。
能という語は、元々特定の芸能をさすものではなく、
物真似や滑稽芸でない芸能でストーリーのあるもののことを全般に指す語であり、
猿楽以外にもこれが用いられていたが、猿楽が盛んになるとともに
ほとんど猿楽の能の略称となった。
1881年(明治14年)に能楽社の設立を機として猿楽を能楽と改称したため、
能楽の能を指す語となったものであり、能楽のうち超自然的なものを
題材とした歌舞劇のことで比較的高尚なものである
(実世界に題材を求めた世俗的な科白劇が、狂言である)。
(Wikipediaより)


※向い側には~

一休とんちロード看板


酬恩庵(しゅうおんあん)は、京都府京田辺市にある
臨済宗大徳寺派の寺院である。山号は霊瑞山。本尊は釈迦如来。
一休寺(いっきゅうじ)、薪(たきぎ)の一休寺とも称される。
枯山水の石庭や一休宗純の木像のほか、納豆の一種である「一休寺納豆」でも有名。
正応年間(1288 - 1293年)に南浦紹明が開いた妙勝寺が前身である。
元弘年間(1331 - 1334年)に兵火にあって衰退していたのを、
康正2年(1456年)に一休宗純が草庵を結んで中興し、
宗祖の遺風を慕い師恩に酬いる意味で酬恩庵と号した。
その後、一休は文明13年11月21日(1481年12月12日)、
88歳で亡くなるまでをここで過ごし臨終の際には「死にとうない」と述べたと伝わる。
なお、金春禅竹が総門のまえで一休のために能を演じたという。
(Wikipediaより)




一休宗純(いっきゅうそうじゅん)は、室町時代の臨済宗大徳寺派の僧、詩人。
説話のモデルとしても知られる。
出生地は京都で、出自は後小松天皇の落胤とする説が有力視されている 。

一休宗純が遺した言葉
門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし
釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな
秋風一夜百千年(秋風のなかあなたと共にいる。それは百年にも千年の歳月にも値するものだ)
花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖 はもみじ、花はみよしの
女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む
世の中は起きて箱して(糞して)寝て食って後は死ぬを待つばかりなり
南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ




石畳
白壁築地
本瓦
私の好きな物!沢山!!

※檜皮葺屋根も!

今日は此処まで~
後日拝観させていただこうと~



見返って~

※門前で子供たちと遊んだんでしょうか?

杯状穴も~



石材の際まで~



門前
もう一度~

※左側は駐車場

とんちロードですね。

※檜皮葺伽藍
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