路地行けば~ ※同好の士が居る様で~ |
大住小学校脇に~ ※大住村役場跡碑 大住村(おおすみむら)は、京都府綴喜郡にあった村。 現在の京田辺市の北端にあたる。 (Wikipediaより) |
向うに気になる建物が~ ※老人福祉施設でした… |
なだらかな圃場が広がっています。 ※相楽郡の山々が~ |
大住小学校 1873年(明治6年) - 進徳校創立 1889年(明治22年) - 大住尋常小学校へ改称 1908年(明治41年) - 大住尋常高等小学校へ改称 1941年(昭和16年) - 大住国民学校へ改称 1947年(昭和22年) - 大住村立大住小学校へ改称 1951年(昭和26年) - 田辺町立大住小学校へ改称 (Wikipediaより) ※プールの辺りが 昔は役場だった。 |
戸山流(とやまりゅう)は、大正から昭和初期にかけて 陸軍戸山学校で制定された軍刀操法を、 太平洋戦争(大東亜戦争)後に居合道の流派としたもの。 太平洋戦争(大東亜戦争)敗戦後、占領軍(GHQ)に武道を禁止されたが、 1952年(昭和27年)に解禁された。 戦前に体系付けられた軍刀操法は「戸山流」と名付けられ、 居合道として一般に広められていった。 戦前は軍服や体操服に刀帯(ベルト)を着用し、軍刀を使用していたが、 戦後は伝統的な居合流派と同様の道着や紋付・袴を着用し、 打刀拵を使用している。 技法的には他の居合流派に比べ、試し斬りを重視していることが特徴である。 戸山流から派生した武道に「抜刀道」がある。 (Wikipediaより) ※月讀神社(つきよみじんじゃ)は、京都府京田辺市にある神社である。 式内大社。隼人舞の発祥地として知られる。 社伝によると、大同4年(809年)社殿を平城京より平安京に遷した際、 大住山において霊光を拝し、この地に社殿を建立したのを創建とする。 鳥羽伏見の戦いの際は、戦火を避けるため石清水八幡宮が一時遷座され、 御神宝が薬師堂に安置された。 (Wikipediaより) |
九州南部の大隅隼人が奈良時代大住に移住し、 この大住隼人が郷土の民俗芸能の隼人舞をこの月讀神社に奉納して 舞伝えてきたという伝承から、隼人舞の発祥地とされている。 10月14日の例祭宵宮では、現在も隼人舞が奉納される (京田辺市指定無形民俗文化財である)。 (Wikipediaより) ※ |
※石燈籠には~ |
社坊 神社の世話をするために、神社の中、または近くにつくられた寺のことです。 しかし、明治時代になって仏教を排除しようとする考え (廃仏毀釈[はいぶつきしゃく])が広まり、多くの社坊はなくなります。 (コトバンクより) ※ |
現地看板 ※ |
扁額 ※境内から見返って~ |
手水舎 ※摂社 金比羅神社 |
稲荷社 ※二の鳥居 |
拝殿舎正面 ※天満宮 |
八幡山遥拝所 ※皇紀2600年記念国旗掲揚台 |
中座銘石燈籠 ※真新しい狛犬 |
明治天皇陵遥拝所 |
拝殿舎正面 ※梅鉢紋 |
本殿舎 ※ |
御霊神社 ※織部燈籠 キリシタン燈籠ですね。 |
元薬師堂跡 神宮寺の名残 ※H30.09.04 台風21号爪痕 |
室生座発祥の碑 ※神武天皇遥拝所 橿原神社 |
伊勢神宮遥拝所 ※弁天池 |
足之神様 ※ |
進徳小学校跡 ※ |
忠魂碑 ※遠く比叡の峰 |
神社の杜 ※ |
何思う~ ※先へ~ |
校舎の右辺りが 役場だった。。 ※ |
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