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令和元年、2019年の秋本番は~吹田へ!
古の職人技・物流の集積地…

突ポタde大阪市内の北側へ!
神社と地車の彫刻に溜息が~

前には~
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浮ドンは、ポタ空白地とか…

河内の地車の彫物師・舟板蔵も…ほぉ~と感嘆が漏れます。
吹田市垂水町(垂水神社)~ 02

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
近場なので自走ポタ~相棒自転車は…プロムナード化したパナソニック号!
浮ドンはブロ君でタンデムポタ!!
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和元年10月22日
                                           UP日:令和二年01月28日


街道から北へ~
新興住宅街の向うに
千里丘陵の名残が~

※鳥居が~

石燈篭の基部に奉納者銘

※商人名が多いです。

郷社なんですね~

※扁額

見返って~

※参道脇にも住宅地が…

境内地が見えてきました。

※石橋渡って~

明和期の石燈篭

垂水神社(たるみじんじゃ)は、大阪府吹田市垂水町にある神社。
式内社(名神大社)で、旧社格は郷社。現在は神社本庁に属さない単立神社。

垂水神社の社名の「垂水」とは、「崖から流れ落ちる水」を意味する。
千里丘陵南端に位置する境内は地形的に丘陵からの湧水が生じる場所で、
当地を鎮座地とする垂水神は古くから水の神として信仰された。
文献では、『新撰姓氏録』には「垂水岡」の水にまつわる
当社の由緒が記されるほか、国史等には朝廷から当社へ幾度も
祈雨祈願の奉幣がなされた旨が記されている。
近世の『摂津名所図会』・『摂津志』にも当地の湧水に関する記述があり、
特に『摂津名所図会』では霊泉として信仰された様子が記されている。
また垂水地域では、古代氏族として垂水氏(たるみうじ、垂水公)が居住し、
垂水神社の祭祀にも関与したことが知られる。
(Wikipediaより)

手水舎

※手水鉢

一段高い境内へ~

※扁額

拝殿舎正面

※鶴の懸魚
菊華紋

拝殿舎前の狛犬


※吽

狛犬


※吽

本殿舎東側から~


 

西側の本殿舎脇から~



遷宮の記
背後の山頂には弥生式住居跡が
埋蔵されているとか~

※境内風景

玉之井の井戸

※戎社

境内摂社
皇太神社

※祓戸社

戎社前に
垂水弥生遺跡
垂水遺跡は、垂水神社を中心とする丘陵部から平野部にかけて広がる遺跡です。
ここでは、弥生時代中期から後期にかけての遺物が認められており、
その中心は後期にあるとみられています。
これまでの発掘調査では、標高54m付近の丘陵上で
竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)や掘立柱建物跡、
焼土坑(しょうどこう)、甕棺墓(かめかんぼ)などが確認されており、
丘陵上に弥生時代の集落が展開していたものとみられ、
高地性集落として知られている遺跡です。
(吹田市HPより)







境内風景~

※ここまで大阪湾が
入り込んでいたんでしょうね。

拝殿舎全体

※神社背面には
よく見ると屋根が見えています。

石段見返って~

※神社西側脇に~

行場ですかね?
前には

※吹田市松ヶ鼻
気に成って調べたら
JR吹田駅近くなんですね。
後ほど伺います~

山際には湧水が…
大阪市内では、
前に

※お不動様

滝の水は龍神様の仮のお姿~

※色んな神様が祀られています~

大神社

※社があったんでしょうか?


津くよみの池
(月読)かと思いましたが~

※山裾に湧水が多いのでしょうね。

湧水ごとに王様が祀られちぇいます。

※此処から難波の宮まで樋を通したとか~
見たかったなぁ~

行場の様ですが~

※湧水は絶えずに…
 
谷筋ですが~
上部東側には住宅地があると…

高登社

※扁額

多くの石碑が~
昔からの信仰

※力石にも見えますがね~

船の形にも見えます。

※垂水不動
扁額

垂水不動正面



高登社

※見返って~

不動参道

※参道を引き返します。

長柄の渡しの人柱~
彼女は、この辺りから禁野村(枚方)に
嫁がれたんですね~
 
人柱の石碑

少し戻ります~



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