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令和七年、2025年!今年は大阪万博だそうで~
久しぶりのポタは久しぶりの大和高田に、我が蔓編の師匠を思い~

奈良はええなぁ~
水運や綿花の繁栄の名残~
竹ノ内街道の終着点、静御前の終焉の地や式内大社沢山!
梅は咲いたか桜は未だかいなの時期
前には
~今回は、浮ドンと膝栗毛!

橿原市曽我町(宗我坐宗我都比古神社) 01

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
お互い久しぶりの自転車ポタ~相棒自転車は…
パナソニックダイヤモンドキャンピングとUFO先生号
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和七年03月20日
                                           UP日:令和七年03月23日


ヤンマン
寂しくなります~泣

※いざスタート!

地元ナンバーが多く走る道を…



近鉄大阪線踏切を~



踏切渡ったところに~
宗我坐宗我都比古神社サン

※飛鳥時代に活躍した豪族、
蘇我氏の始祖を祭る宗我坐宗我都比古(そがにますそがつひこ)神社(橿原市)は、
蘇我氏の本拠地として有力な曽我町に鎮座します。
この周辺の古名は「蘇我」だったとも伝わります。

社伝によると、大和朝廷初期に活躍した武内宿禰(たけのうちのすくね)の第3子、
石川宿禰(いしかわのすくね)が大阪河内から移り、姓を蘇我と名乗ったとされます。
推古天皇(在位592~628年)の時代に大臣の蘇我馬子(そがのうまこ)が社殿を造営し、
石川宿禰夫妻を祭ったのが神社の起源とされ、
祭神は石川宿禰夫妻の宗我都比古大神(そがつひこおおかみ)と
宗我都比売大神(そがつひめおおかみ)です。
また、祭祀(さいし)組織として一族は「宗我座」を、
地域住民は「神町(しんまち)座」「宮座」「宮元座」を作り、
今も秋祭り(10月中旬)の祭事の一部を担います。
祈年祭(御田祭)は2月中旬、御例祭は10月6日に行われ、
本神社は地元から「曽我ンさん」と呼ばれ、親しまれています。

(tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」より抜粋)

力石?
ガレージ脇が気に成ります。



式内大社
この日1社目

※曽我氏なんですね。

歌碑
光って読めん…

※お百度石


この間を走るんでしょうか?
参道風景

※手水鉢

狛犬


※吽

砂岩でしょうか?
迫力ある~


※吽

銘は?

※見返って~

境内には稲荷社も~



稲荷社脇に
摂社八坂神社サン

※戎神社サン

拝殿舎



ガレージ?と思えば
神輿の格納庫

※本殿舎脇から~

檜皮葺が美しい~
春日造でしょうか?

※背面から~

梅は満開



杉も植えられています。
サンシュユの花も~

※本殿舎前

立派な神輿
前には
由来を伺いたいですね。



拝殿舎も
檜皮葺の破風

※社務所

何?と思えば
石燈籠の宝珠~

※参道見返って~

ケヤキでしょうか?

※洞が~

昭和3年

※御大典記念
昭和天皇の即位記念
大正15年(1926)12月25日大正天皇が崩御すると、皇太子ひろひと裕仁親王は
直ちに天皇の位を受け継いで(せんそ践祚と呼びます)、
元号を「昭和」と改めました(改元)。平成の始まりの際もそうでしたが、
昭和という元号も新天皇も、大正天皇の闘病生活・ほうぎょ崩御(大正15年12月25日)・
りょうあん諒闇(喪中。ほぼ1年間)という陰うつな雰囲気の中で始まりました。
天皇の死と新天皇の誕生とが一体であったため、新しい「御代」を祝おうにも
なかなか祝いづらい中でのスタートでした。
こうした事情や世情不安などもあって、やがて先帝の喪の明けた
昭和3年(1928)に挙行された即位礼(ごたいれい御大礼)を始めとする
一連の儀式(ごたいてん御大典と呼ばれました)は、
暗い雰囲気一切を吹き飛ばすかのような国家の慶事となりました。
(名古屋市博物館HPより)


御朱印

※次へ~

曽我川目指して~



おー
桜が~



曽我川緑地


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