昔の地形図見たら
本祖道集落とか…
※街道脇の地蔵堂
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銀輪連ねて
膝栗毛~
※街道沿いに参道入り口
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御大典記念 宮橋
※お邪魔して~
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勝尾寺川
上流部
※下流部
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昭和天皇即位の御大典記念
※扁額
落款は久紋龍
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手水舎
※手水鉢
杯状穴は無し~
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見返って~
※参道階段
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参道脇の摂社
※八幡大神
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先へ~
※境内が見えてきました~
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二番目の手水舎
※楼門でしょうか?
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内部には絵馬も~
※
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昭和4年銘
軍艦那智
那智(なち)は、日本海軍の重巡洋艦。妙高型重巡洋艦の2番艦である。
那智級と表記された事もある。命名の由来は和歌山県の那智山に依る。
艦内神社も熊野那智大社から分祀された。
1924年(大正13年)11月26日、呉海軍工廠にて起工。当初、進水は1926年(大正15年)10月中旬を予定していた。
1927年(昭和2年)6月15日、梨本宮守正王列席のもと進水。
1928年(昭和3年)11月26日竣工。起工は妙高より1ヶ月遅れたが、竣工は8ヶ月早まった事になる。
佐世保鎮守府所属。
同年12月4日、横浜沖での御大礼特別観艦式に参加する。那智は最新鋭1万トン級巡洋艦として世界に紹介された。
那智の栄誉は続いた。1929年(昭和4年)5月下旬〜6月上旬、東京(横須賀)、
八丈島、大島、和歌山、大阪、神戸、東京(横須賀)を昭和天皇が行幸する事になり、
その御召艦として那智と戦艦長門が指定される。
当時の那智には高等官27名、判任官159名、兵566名、計752名が乗艦していた。
5月28日午前10時、横須賀軍港にて昭和天皇が那智に乗艦し、午後6時に八丈島にて戦艦長門に移乗した。
以後、6月8日の神戸出港まで那智は御召艦長門の供奉艦として行動を共にした。
太平洋戦争で各方面で、活躍するもフィリピン、マニラ湾にて昭和19年11月5日沈没。
(Wikipediaより)
※明治43年銘
武者絵
氏子年男奉納
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大正14年
相撲番付でしょうね。
詳細は読めない…
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奉納
※ありゃ~
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UFO先生の墨筆
沢の鶴株式会社(さわのつる)は、日本の酒類製造業会社。
兵庫県神戸市、灘五郷の一つ西郷に本社を置く。
『純米』に自信をもつ酒蔵である。
1717年 - 創業。
当時は両替を主に扱う商人であり、大名の蔵屋敷に出入りし、藩米を取り扱う仕事を主に行った。
当時の屋号は米屋。その別家の米屋喜兵衛が米屋の他、副業で酒を造り始めたことが始まりである。
商標が※印なのはそのためである。
(Wikipediaより)
※本殿舎正面
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狛犬
阿
※吽
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屋根付き廊下
破風ですかね?
※覆い屋付きの本殿舎
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升屋 善兵衛銘
※正徳(しょうとく、旧字体: 正德)は日本の元号の一つ。宝永の後、享保の前。
1711年から1716年までの期間を指す。この時代の天皇は中御門天皇。
江戸幕府将軍は徳川家宣、徳川家継。
(Wikipediaより)
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覆い屋脇から~
※本殿舎裏
地震の為か?
石垣がズレています。
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周りをウロウロ~
※氏子集合写真
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見返って~
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お邪魔しました~
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街道に戻って~
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