先は名神高速の茨木IC ※亀岡街道を西へ~ 亀岡街道は、大阪より北摂を経由して 丹波の亀岡(現・京都府亀岡市)に通じていた、 全長約33.96kmの旧街道である。 古来から丹波の薪炭・農産物の大阪市内への輸送路であった。 (Wikipediaより) 前のページの炭屋銘も納得! |
街道の様相 ※うねりながら~ |
トタン被せ~ ※ |
わき目を~ ※先へ~ |
脇道へ~ 地蔵堂も ※ |
郡さくら公園バックに… ※墓地は? |
乗雲寺さん ※山門前の地蔵様 |
錫杖は お持ちじゃないですが~ |
中々の彫が良くて~ ※ |
本堂~ ※郡小学校発祥の地碑 寺子屋からの発展でしょうか? |
微妙な杯状穴? 手水鉢 ※木彫が気に成ります。 |
立派な木彫の龍ですね。 ※彫師の銘は無し~ |
手挟は波ですね。 ※飾り瓦の獅子も 鯱も~ |
鐘楼 ※ 岩澤徹誠(大正9年~) 京都向日町の井上電機に入社し鋳物部門に従事しその中で 京都釜座の鋳物師の古老と出会い鋳匠の技を学びました。 昭和16年、太平洋戦争が勃発し宗徹も 徴兵されるが生まれながらにして病弱であったため、 自宅待機を命じられるなか数多くの友達が前線に送り出されて戦死をしていったのに やりきれなさを感じていた宗徹(徹誠)は「お国のため」という想いから 昭和19年、岩澤鋳工有限会社を設立し、井上電機の下請工場として、 軍艦の電柱板などの軍需部品を鋳造していました。 (岩澤の梵鐘HPより) 高山彦九郎像 制作されたんですね。 |
街道に戻ります~ ※立派な屋門 |
郡水利組合連絡所 治水,水利,土功などの事業を営むため,地方公共団体または一定地域内の土地, 家屋所有者を構成員として組織される公法人。 1890年の水利組合条例を前身として, 1908年に制定された水利組合法 (明治 41年法律 50号) に基づいてつくられた。 同法による水利組合には灌漑,排水を目的とする普通水利組合と, 水害防御を目的とする水害予防組合とがあったが, 前者は 49年土地改良法 (昭和 24年法律 195号) の制定により土地改良区と改称された。 なお,同年水利組合法は水害予防組合法と改称され,水害予防組合だけが残った。 このほかにも任意組織として,小規模な用水管理を目的とするような 水利組合が多数存在している。 (コトバンクより) ※燈籠の竿ですね。 参道沿いです~ |
郡自治公民館 ※ |
木製扉に惹かれます。 |
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