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令和二年、2020年!今年は東京五輪!!の正月は~
暖冬の予感、しかしこの日は寒冷前線のせいで寒く
渡来人や有名人の足跡探して…
生駒山系の北側から東側の地区をポタリ~

気候は京都市内と同じような北山颪も!
あれって愛宕山!?
今ですよ今!
前には
~今回は浮ドンと!

京田辺市 草内(宝泉寺) 12

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
JR大阪東線の恩恵で輪行ポタ~相棒自転車は…
私も浮ドンもブロ君でタンデムポタ!!
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和二年01月05日
                                           UP日:令和二年03月26日


草内の保育園

※ハス畑も~

きょろきょろしながら~

※石畳も~

草内集落

※先へ~

長屋門も~

※地蔵尊も~

立樋~
内陸地形の
溜池の先人の知恵ですね。

五ノ坪池の立樋
尺八とも呼ぶんですね。
前には
 
地蔵尊と
役行者銘も

※向かいには法泉寺さん

 創建開基は不明。本尊十一面観音が草むらから現れたため、
あたりを草内と呼ぶようになったと伝えられている。
また、天長年間(824~833年)の干ばつの際、この本尊に祈願したところ、
清泉が湧き出したので法泉寺と号したという。
このため雨乞い祈願の農耕守護仏として今なお信仰されている。
本堂は永禄2(1559)年に戦火を浴び、元禄12(1699)年に再建された。
その後、昭和34(1959)年にも再建され現在に至る。
(京田辺市観光協会HPより)



 
目立つ石塔


 
重要文化財・十三重石塔や室町期様式の枯山水を復元した庭園、三宝荒神玉石塔も有名。
十三重石塔 材質は花崗岩。高さ約6m、笠と軸部を一石で彫り、十三重に重ねるという様式です。
各重の笠の軒付が厚く、力強く反り返っている姿は、
鎌倉時代中期らしい剛毅さと華やかさが感じられます。
(京田辺市観光協会HPより)


宇治川の石塔より建立は早いと~

 石大工さんの拘り

※十三重石塔 - 初重塔身の四方に四方仏を半肉彫とする。
基礎部分に弘安元年(1278年)の銘がある。
銘文中に「大工」として名の見える猪末行(伊末行)は、
宋から渡来した石工・伊行末の系統の工人である。
(Wikipediaより)



 杯状穴が~


 
色んな所に~

※銘も~
 
推定200年のカイズカイブキ
が境内の目を惹きます。

※カイズカイブキ
原産地は中国、日本。漢名を「龍柏」といい、
中国では山東省以南の各都市で広く植樹されており、
台湾、香港でも一般的。主に、春に挿し木や接ぎ木で増やす。
砂地など、水はけのよい場所が適する。
低温には弱いが、排気ガスに強く、公園の生け垣などにも用いられる。
また、剪定によって造形をするのにも用いられる。
強く剪定したり樹勢が弱るとスギの葉に似た針状の葉を付けた枝を
生じることがあるが、これは鱗片葉をもつビャクシン類には共通の特徴である。
(Wikipediaより)

 
本堂正面

※扁額

お馴染み
京都三宅安兵衛依遺志建之銘

三宅 安兵衛(みやけ やすべえ、
天保13年1月11日(1842年2月20日) - 大正9年(1920年)12月1日)は、幕末・明治時代の商人。
初名は安治郎。晩年、京都のために資産を使えと言い残し、
長男・三宅清治郎がその遺志に基づいて京都府内に
およそ400基の史跡・名所の案内碑を建立したことで知られる。
安兵衛の死後、長男の清治郎は、父が生前、石清水八幡宮等に
参詣人のための標石を建てていたことを踏まえ、
その遺志に基づき京都の名所旧跡に標石を設置した。
この標石は「稟京都三宅安兵衛遺志建之」の文字が刻まれたもので、
京都市内から、八幡市、宇治市、田辺町、精華町、井手町、山城町、加茂町にかけて、
昭和5年(1930年)まで、400余基が建碑された。
(Wikipediaより)


※頭が下がります。

 
三宝荒神
台所の神様ですね。


 
笠塔婆


 
地蔵尊は幼女銘


 
石材

※放生池と弁財天
 
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