片鉾郊祀壇
中国の影響を受けて行われた郊祀の最初は、
桓武天皇の漢風化路線の一環として延暦4年11月10日と同6年11月5日に
長岡京の南郊にあたる河内国交野郡の柏原にて郊祀が行われたものである。
現在の大阪府枚方市片鉾に昭和初期まで存在した小さな円丘がその祭場の跡だと言われている。
後者の際に天皇の実父である光仁天皇を併せて祀り、
また祭文も「是天上帝に告ぐ」とする中国の郊祀の体裁を採用している。
これは、中国文化の導入を通じた律令政治の再建を意図するとともに、
天皇の母方である渡来人系の和氏一族を通じて中国文化に親しんでいたこと、
壬申の乱以来の天武天皇系皇統が断絶して天智天皇系皇統が再興されたことを
「新王朝」創業に擬え、「新王朝」の都である長岡京で天に対して
その事実を報告する意図があったと言われている。
(Wikipediaより)
※扁額
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