穂谷川橋渡って~
※
|
日置今池街道
古道日置今池街道は、交野天神⇒楠葉安養寺前⇒船橋川⇒招堤敬応寺→
桜今池⇒日置天神社⇒穂谷川⇒東高野街道とつながる古道の一部
※先には~
|
やはり台風被害でしょうか?
さっぱりとした感じになっています。
※日置天神社サン前
|
地車庫が見事です。
※扁額
|
日置山遺跡は、日置天神社境内とその周辺を指し、
かってはタニシの貝塚として知られていたが、
昭和57年の発掘調査により中世の貝層をはじめ
溝・土杭などが確認された。
また、日置郷の開発のために破壊された古墳(方形墳)と
考えられる遺構を検出した。
このように、日置山遺跡は古墳時代から中世までの複合遺跡で、
周辺には日置千軒と伝えられる繁栄の跡が眠っているものと思われる。
惟喬親王(これたかしんのう、
承和11年(844年) - 寛平9年2月20日[1](897年3月30日)は、平安時代前期の皇族。
文徳天皇の第一皇子。官位は四品・弾正尹。小野宮を号す。
日本の国歌「君が代」は作詞者不明とされてきたが、
木地師の藤原朝臣石位左衛門が仕えていた惟喬親王に詠んだ歌という説がある。
また、当親王を支持した紀氏は、側近だった者らを顕彰し六歌仙となったといわれる。
(Wikipediaより)
※手水舎
|
八棟の地車庫
壮観ですね。
※境内風景
|
拝殿舎正面
※撫で牛
|
狛犬
阿
※吽
|
なにわ型
砂岩ですね。
※植樹された遥拝所
伊勢神宮
|
形はオーソドックスな物
※拝殿舎扁額
|
本殿舎覆い屋
※境内摂社
|
境内風景
※鏡の池跡
|
稲荷社
※先の招堤には行かずに
この日は戻ります。
|
穂谷川堤防へ~
※
|