大阪府道17号枚方高槻線 ※タンクは長尾宮前配水池 |
正俊寺さん 初代久貝正俊の菩提を弔うために建立され、 久貝氏の菩提寺として久貝家墓所がある。 |
府道沿いに 参道が~ ※菅原神社碑 |
元和元年(1615)年大阪落城の後、徳川家康の命により、その旗本の久貝幡守正俊公が河州交野郡領有。 その頃長尾の丘陵地は荒野で河内、山城の国境で交通の要所であり、 古来から戦略上の要地であったため、ここに陣屋を営まんとした。 陣屋を建てるには村おこしが必要と久貝氏の家来細谷善兵衛氏は 戸数十三戸の村民や近隣村民を集め、長尾の荒野山林を開拓し新田や畑を造った。 開墾地は良い土壌で穀物の増収があり、この丘陵は「福をもたらす岡」とのことから「福岡村」と名付けた。 慶安3(1650)年には戸数33戸に増加、正俊の子・正世が長岡天神の分霊を勧請し、菅原天満宮を創建。 その後年には陣屋も建ち、開墾地、戸数は増加の一途をたどる。 やがて摂社として「峠天満宮」や「高野道天満宮」また、「水神宮」「高倉稲荷大神」「皇大神宮」が順次ご造営された。 「福岡村」は、貞享3年(1686)「長尾村」と改称され、幾多の合併を繰り返し、 昭和30年に枚方市と合併し現在に至っている。 (LocalWikiより) ※テンダイウヤクとは 中国の中南部を原産とする低木。 独特の芳香を放つ根が胃薬になるとして、薬木として享保年間(江戸時代)に 日本へ渡来したものが野生化し、本州や九州の暖地に分布する。 秦の始皇帝が探し求めていた不老長寿薬の最有力候補とされた。 胃薬になるのは根の肥大した部分で、その形状をカラスに見立てて 「烏薬」と呼ばれるようになった(諸説あり)。 また、中国の天台山のものが生薬として最良とされたことから、 後に「天台」を冠してテンダイウヤクと呼ばれるようになった。 やや大きめの葉には光沢があり、クスノキ科に特有である 3本の葉脈が美しいことから、薬木のみならず観賞用にも植えられるようになった。 ほどよく剪定されたものは樹形に趣があり、通好みとされる。 (庭木図鑑 植木ペディアより) |
一の鳥居 エエ天気でした~ ※扁額 |
是より南 牛馬日附??? 何やろか? ※参道 |
二の鳥居 ※ |
見返って~ ※ |
手水鉢 ※奉納馬 |
やはり 高岡市 前には~ ※ |
三の鳥居 ※扁額 |
記念樹碑 ※拝殿舎正面 |
撫で牛 ※ |
狛犬 阿 ※吽 |
拝殿舎 扁額 ※ |
伊勢神宮遥拝所 他所とは違って 建物ですね。 ※ |
稲荷社 ※手水鉢 |
水神宮 ※扁額 |
檜皮葺 ※菅原神社碑裏側 |
長尾口 ※先へ~ |
土蔵も見え隠れ~ ※奥の屋門 kさん絵になりますよね。 |
郵便局も~ ※長屋門も… |
元病院でしょうか? ※妻入り家屋 |
築地も~ ※茅葺の大和棟 |
大事にしてくださいね。 ※ |
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