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令和元年、2019年の〆…年末は~
生駒山の西麓を~東高野街道の成立するまで、
以前に自然発生的に成立した山根街道。

冬晴れの里山と渡来人の足跡と!
今ですよ今!
前の~続きで近くは
枚方市藤阪東町(伝 王仁墓)~ 05

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
JR大阪東線の恩恵で輪行ポタ~相棒自転車は…プー太!
まだサンはブロ君でリベンジのタンデムポタ!!
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和元年12月29日
                                           UP日:令和二年02月25日


小さい看板が~

※住宅地の中~

丘の上に樹木が…
アソコデショウカ??

※緩やかな登り傾斜

アソコノ樹木…
違いますね。

※井戸のポンプ

急な登坂

※上から見返って…
あーしんど!

王仁(わに、生没年不詳)は、応神天皇の時代に辰孫王と共に百済から日本に渡来し、
千字文と論語を伝えたと記紀等に記述される伝承上の人物である
(記紀には「辰孫王」の記述は無い)。
『日本書紀』では王仁、『古事記』では和邇吉師(わにきし)と表記されている。
伝承では、百済に渡来した中国人であるとされ、
この場合姓である王氏から楽浪郡の王氏とする見解がある。
(Wikipediaより)




韓国風の門が~

※ムクゲ
大韓民国の国花で、国章にも意匠化されており、
ホテルの格付けなどの星の代わりにも使用されている
(ただし法的な国花の位置付けはない)。
また韓国軍の階級の領官(大韓民国国軍における佐官の称)と
大韓民国の警察のすべての階級の階級章にも使われている。
このほか、韓国鉄道公社は列車種別の一つとして「ムグンファ号」を設定している。
古くは崔致遠「謝不許北国居上表」に、
9世紀末の新羅が自らを「槿花郷」(=むくげの国)と呼んでいたことが見える。
(Wikipediaより)


百済門



鶴見花博の
パビリオンにも同じような
門が~



韓国風の龍
この所、龍付いています~

※墓所へ~

前には



王仁博士之墓

※玉垣

墓標

※和邇吉師によって『論語』『千字文』すなわち
儒教と漢字が伝えられたとされている。
(Wikipediaより)


玉垣

※見返って~

ムクゲの向こうに

※鬼瓦?
 
『千字文』(せんじもん)(中国語ピンイン:qianziwen)は、子供に漢字を教えたり、
書の手本として使うために用いられた漢文の長詩である。
1000の異なった文字が使われていて、全て違った文字で、一字も重複していない。
南朝・梁 (502–549) の武帝が、文章家として有名な文官の周興嗣 (470–521) に
文章を作らせたものである。
周興嗣は、皇帝の命を受けて一夜で千字文を考え、
皇帝に進上したときには白髪になっていたという伝説がある。
文字は、能書家として有名な東晋の王羲之の字を、殷鉄石に命じて模写して集成し、
書道の手本にしたと伝えられる。
王羲之の字ではなく、魏の鍾繇の文字を使ったという異説もあるが、有力ではない。
完成当初から非常に珍重され、以後各地に広まっていき、
南朝から唐代にかけて流行し、宋代以後全土に普及した。
(Wikipediaより)




こちらは
書いた事がありますわ。

※論語碑
『論語』(ろんご、拼音: Lúnyǔ)とは、
孔子と彼の高弟の言行を孔子の死後、弟子達が記録した書物である。
『孟子』『大学』『中庸』と併せて朱子学における「四書」の1つに数えられる。
(Wikipediaより)


千字文碑

※向うには北摂の峰が~
高台です。

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