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令和元年、2019年の〆…年末は~
生駒山の西麓を~東高野街道の成立するまで、
以前に自然発生的に成立した山根街道。

冬晴れの里山と渡来人の足跡と!
今ですよ今!
前の~続きで近くは
枚方市藤阪元町(王仁公園)~ 04

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
JR大阪東線の恩恵で輪行ポタ~相棒自転車は…プー太!
まだサンはブロ君でリベンジのタンデムポタ!!

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和元年12月29日
                                           UP日:令和二年02月25日


山根道を~

※此処にも溜池が~

惣喜池(そうきいけ)
枚方市内で一番貯水量が多い池とか~

※地図で見れば
淀川水系穂谷川には
山田池など大きな溜池が
有ります。

掻い掘り(かいぼり)は、池や沼の水をくみ出して泥をさらい、
魚などの生物を獲り、天日に干すことである。
換え掘り(かえぼり)、換え乾し(かえぼし)、池干し、泥流しなどのよび方もある。
井戸の水をくみ出してたまった土砂を取り除く井戸浚え(いどさらえ)を指すこともある。
農業用のため池を維持するために行われてきた、日本の伝統的な管理方法である。
稲作が終わる晩秋から早春にかけての農閑期に、池の水を抜き天日に干し、
堆積したヘドロや土砂を取り除いて肥料にし、獲った魚を利用してきた。
栄養塩類を含んだ泥や水を排出し、また池の底を空気にさらして微生物による分解を促進することで、
水質を浄化する効果がある。
現在は、農業目的の他に、水質改善や、外来生物駆除のための掻い掘りが、各地で行われている。
(Wikipediaより)

河内ブナの養殖がされていると~

※池の堤防上の山根街道

街道沿いの御家

※何やろか?

津田妙見道道標
前には



街道沿いの地蔵様
大切に祀られています。

※山根街道
山根街道(やまねかいどう)
交野郡(かたのぐん)の山際(やまぎわ)を南北に通る道です。
八幡(やわた)で東高野街道から分岐し、長尾(ながお)・藤阪(ふじさか)・津田(つだ)を通り、
茄子作の東方で再び東高野街道に合流します。
(枚方市HPより)


カワウ被害が甚大ですと~
カワウ(河鵜、川鵜、学名: Phalacrocorax carbo)は、
カツオドリ目(以前はペリカン目に分類された。
Sibley分類ではコウノトリ目に属する)ウ科に分類される鳥類の一種。
名前の由来は文字通り「河(川)」に生息する「鵜」である。
ただし、河川のみならず、河口付近や湖沼、浅海域でも普通に見ることができる。
日本においては、1920年代以前には本州、四国、九州に広く生息していたが、
1970年代には3000羽以下まで減少し、1971年(昭和46年)の繁殖地は、
愛知県鵜の山、東京都不忍池、大分県沖黒島の3か所のみとなった。
1980年代初頭の繁殖地は下北半島(青森県)、上野公園の不忍池(東京都)、知多半島(愛知県)、
南伊勢町五ヶ所浦(三重県)、沖黒島(大分県)などであった。
その後、1980年代には2万-2万5000羽、2000年(平成12年)末には5万-6万羽までに増加した。
公害規制による河川水質の向上で餌となる魚が増え、1990年代以降、その数は飛躍的に増加した。
現在15万羽以上に増えたと推測される。
(Wikipediaより)




奇麗な御家

※何の倉庫でしょうか?

惣喜池の東側には
井出口池

※上の段はR307
国道307号
滋賀県の甲賀・東近江・湖東地区と京阪神地域を結ぶ延長110 kmの一般国道で、
滋賀県の東部に位置する彦根市の国道8号分岐から近江盆地南部を下り、
笠置山地(信楽山地)を東西に走って裏白峠を越えて、
大阪府の北東部に位置する枚方市で国道1号と接続する。
(Wikipediaより)


建物は津田病院

※見返ったら~

前に第二京阪道路~
ミスコースですわ!Uターンします。

※見返った道を戻ります~

すみません~

※本来の道に戻って~

先へ~



津田高校の脇を~

※惣喜池西側を~

穂谷川に架かる富津橋

※向うにJR藤坂駅

昔からの墓地脇~



セルフポートレート



違う池の堤防

※王仁新池釣りセンター

へぇ~
釣り池

※釣ってはりますね。

鋳物工場が有るんですと~

※ありゃ~
閉まっています。

田中家は、古くから、河内国茨田(まった)郡枚方村(現在の枚方市枚方上之町)で
鋳物業(いものぎょう)を営んでいました。
江戸時代の鋳物師(いもじ)は、公家(くげ)の真継(まつぎ)家の支配下にあり、
田中家は北河内で唯一、正式に営業を許可された鋳物師でした。
さらに、真継家から「河内国左右惣官鋳物師」に任ぜられ、河内の鋳物師を統率する
営業規模の大きい由緒ある鋳物師として認められていました。
田中家は、江戸時代を通じて、近隣の人々が日常生活に使う鍋・釜や農具のほか、
寺院の梵鐘なども鋳造(ちゅうぞう)しました。
明治以降、日本各地に近代的な工場がつくられてからも、伝統技術を守って営業を続けましたが、
昭和35年頃に廃業しました。
枚方市では、貴重な文化遺産である鋳物工場と主屋の寄贈を受け、両建物を移築・復原し、
全国でも珍しい鋳造関係の専門資料館として整備しました。
(枚方市HPより)


※出直しますね~
この項、の最後に…

先へ~

※小高い丘の上

色んな催し物が~

※フェンスは掲示板?

王仁公園の駐車場

※新興住宅地も~

見返って~

枚方市東部方面に位置し、公園の東部(直線距離で約400m)に存する
大阪府の指定文化財(史跡)伝王仁墓(でんわにはか)の人物名「王仁」が公園名の由来である。
面積は約9.3ヘクタール(93,000平方メートル)。
枚方市にある公園では山田池公園(約71.9ヘクタール)、ひらかたパーク(約15.9ヘクタール)に
次ぐ面積で、枚方市が管理する公園の中では最も広い。
標高は出入り口で72m、園内の三等三角点「宮山(みややま)」で76.72m。
プール(夏期)、テニスコート、バレーボールコート、
運動広場の有料施設や芝生広場等の無料利用エリアがある。
運動広場のグラウンドには夜間照明が設置されている。
プールを除く他の有料施設は市外利用者の料金が倍額になるが、
枚方市内に在職・在学している場合は市内料金扱いとなる。
(Wikipediaより)


木々芽ぐむ
交野が原は
丘重ね

拾翠
角田吾一


※園内風景
私が小学校時分に、此処の整備される前の
グラウンドで親父と野球しましたわ。
近くの長尾病院に祖母が入院してましたので~
周りは、原っぱと養鶏所しか覚えていませんが…
(昭和40年代ですね~汗)
枚方公済病院(ひらかたこうさいびょういん)は、
大阪府枚方市にある国家公務員共済組合連合会運営の病院である。
救急告示病院、労災保険指定病院等に指定されている。
1943年12月 - 大阪第一陸軍病院として開院。
1947年4月 - 政府職員共済組合連合会長尾病院となる。
1958年7月 - 国家公務員共済組合連合会長尾病院と改称。
1993年1月 - 国家公務員共済組合連合会京阪奈病院に改称。
2008年4月 - 国家公務員共済組合連合会枚方公済病院に改称。
(Wikipediaより)


道路に戻って~



丘の上の茶色の建物は
大阪国際大学校

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