山根道を~ ※此処にも溜池が~ |
惣喜池(そうきいけ) 枚方市内で一番貯水量が多い池とか~ ※地図で見れば 淀川水系穂谷川には 山田池など大きな溜池が 有ります。 |
掻い掘り(かいぼり)は、池や沼の水をくみ出して泥をさらい、 魚などの生物を獲り、天日に干すことである。 換え掘り(かえぼり)、換え乾し(かえぼし)、池干し、泥流しなどのよび方もある。 井戸の水をくみ出してたまった土砂を取り除く井戸浚え(いどさらえ)を指すこともある。 農業用のため池を維持するために行われてきた、日本の伝統的な管理方法である。 稲作が終わる晩秋から早春にかけての農閑期に、池の水を抜き天日に干し、 堆積したヘドロや土砂を取り除いて肥料にし、獲った魚を利用してきた。 栄養塩類を含んだ泥や水を排出し、また池の底を空気にさらして微生物による分解を促進することで、 水質を浄化する効果がある。 現在は、農業目的の他に、水質改善や、外来生物駆除のための掻い掘りが、各地で行われている。 (Wikipediaより) 河内ブナの養殖がされていると~ ※池の堤防上の山根街道 |
街道沿いの御家 ※何やろか? |
津田妙見道道標 前には~ ※ |
街道沿いの地蔵様 大切に祀られています。 ※山根街道 山根街道(やまねかいどう) 交野郡(かたのぐん)の山際(やまぎわ)を南北に通る道です。 八幡(やわた)で東高野街道から分岐し、長尾(ながお)・藤阪(ふじさか)・津田(つだ)を通り、 茄子作の東方で再び東高野街道に合流します。 (枚方市HPより) |
カワウ被害が甚大ですと~ カワウ(河鵜、川鵜、学名: Phalacrocorax carbo)は、 カツオドリ目(以前はペリカン目に分類された。 Sibley分類ではコウノトリ目に属する)ウ科に分類される鳥類の一種。 名前の由来は文字通り「河(川)」に生息する「鵜」である。 ただし、河川のみならず、河口付近や湖沼、浅海域でも普通に見ることができる。 日本においては、1920年代以前には本州、四国、九州に広く生息していたが、 1970年代には3000羽以下まで減少し、1971年(昭和46年)の繁殖地は、 愛知県鵜の山、東京都不忍池、大分県沖黒島の3か所のみとなった。 1980年代初頭の繁殖地は下北半島(青森県)、上野公園の不忍池(東京都)、知多半島(愛知県)、 南伊勢町五ヶ所浦(三重県)、沖黒島(大分県)などであった。 その後、1980年代には2万-2万5000羽、2000年(平成12年)末には5万-6万羽までに増加した。 公害規制による河川水質の向上で餌となる魚が増え、1990年代以降、その数は飛躍的に増加した。 現在15万羽以上に増えたと推測される。 (Wikipediaより) ※ |
奇麗な御家 ※何の倉庫でしょうか? |
惣喜池の東側には 井出口池 ※上の段はR307 国道307号 滋賀県の甲賀・東近江・湖東地区と京阪神地域を結ぶ延長110 kmの一般国道で、 滋賀県の東部に位置する彦根市の国道8号分岐から近江盆地南部を下り、 笠置山地(信楽山地)を東西に走って裏白峠を越えて、 大阪府の北東部に位置する枚方市で国道1号と接続する。 (Wikipediaより) |
建物は津田病院 ※見返ったら~ |
前に第二京阪道路~ ミスコースですわ!Uターンします。 ※見返った道を戻ります~ |
すみません~ ※本来の道に戻って~ |
先へ~ ※ |
津田高校の脇を~ ※惣喜池西側を~ |
穂谷川に架かる富津橋 ※向うにJR藤坂駅 |
昔からの墓地脇~ ※ |
セルフポートレート ※ |
違う池の堤防 ※王仁新池釣りセンター |
へぇ~ 釣り池 ※釣ってはりますね。 |
鋳物工場が有るんですと~ ※ありゃ~ 閉まっています。 |
田中家は、古くから、河内国茨田(まった)郡枚方村(現在の枚方市枚方上之町)で 鋳物業(いものぎょう)を営んでいました。 江戸時代の鋳物師(いもじ)は、公家(くげ)の真継(まつぎ)家の支配下にあり、 田中家は北河内で唯一、正式に営業を許可された鋳物師でした。 さらに、真継家から「河内国左右惣官鋳物師」に任ぜられ、河内の鋳物師を統率する 営業規模の大きい由緒ある鋳物師として認められていました。 田中家は、江戸時代を通じて、近隣の人々が日常生活に使う鍋・釜や農具のほか、 寺院の梵鐘なども鋳造(ちゅうぞう)しました。 明治以降、日本各地に近代的な工場がつくられてからも、伝統技術を守って営業を続けましたが、 昭和35年頃に廃業しました。 枚方市では、貴重な文化遺産である鋳物工場と主屋の寄贈を受け、両建物を移築・復原し、 全国でも珍しい鋳造関係の専門資料館として整備しました。 (枚方市HPより) ※出直しますね~ この項、の最後に… |
先へ~ ※小高い丘の上 |
色んな催し物が~ ※フェンスは掲示板? |
王仁公園の駐車場 ※新興住宅地も~ |
見返って~ 枚方市東部方面に位置し、公園の東部(直線距離で約400m)に存する 大阪府の指定文化財(史跡)伝王仁墓(でんわにはか)の人物名「王仁」が公園名の由来である。 面積は約9.3ヘクタール(93,000平方メートル)。 枚方市にある公園では山田池公園(約71.9ヘクタール)、ひらかたパーク(約15.9ヘクタール)に 次ぐ面積で、枚方市が管理する公園の中では最も広い。 標高は出入り口で72m、園内の三等三角点「宮山(みややま)」で76.72m。 プール(夏期)、テニスコート、バレーボールコート、 運動広場の有料施設や芝生広場等の無料利用エリアがある。 運動広場のグラウンドには夜間照明が設置されている。 プールを除く他の有料施設は市外利用者の料金が倍額になるが、 枚方市内に在職・在学している場合は市内料金扱いとなる。 (Wikipediaより) |
木々芽ぐむ 交野が原は 丘重ね 拾翠 角田吾一 ※園内風景 私が小学校時分に、此処の整備される前の グラウンドで親父と野球しましたわ。 近くの長尾病院に祖母が入院してましたので~ 周りは、原っぱと養鶏所しか覚えていませんが… (昭和40年代ですね~汗) 枚方公済病院(ひらかたこうさいびょういん)は、 大阪府枚方市にある国家公務員共済組合連合会運営の病院である。 救急告示病院、労災保険指定病院等に指定されている。 1943年12月 - 大阪第一陸軍病院として開院。 1947年4月 - 政府職員共済組合連合会長尾病院となる。 1958年7月 - 国家公務員共済組合連合会長尾病院と改称。 1993年1月 - 国家公務員共済組合連合会京阪奈病院に改称。 2008年4月 - 国家公務員共済組合連合会枚方公済病院に改称。 (Wikipediaより) |
道路に戻って~ ※ |
丘の上の茶色の建物は 大阪国際大学校 |
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