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令和元年、2019年の晩秋は〜
刈穂の圃場、燃立つ紅葉、古の職人技の集積地…

分水嶺の地、篠山から春日へ!
秋晴れの里山と有名人の足跡と!
今ですよ今!
前には〜
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中井権次一統作以外の彫物師も…ほぉ〜と感嘆が漏れます。
春日町棚原(石燈籠)〜 18

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し〜
JR大阪東線の恩恵で輪行ポタ〜相棒自転車は…英国車BSA号!
浮ドン・まだサンはブロ君でトリオポタ!!
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和元年12月01日
                                           UP日:令和二年01月10日

日本海に注ぐ川渡って〜

※白壁築地此処にも…

トタン被せ



黒豆此処にも…

※新四国第65番霊場碑

流泉寺さん



白壁築地がスタンダード?

※立派な長屋門

国領村道路元標
大正期に設置された道路元標は、1919年(大正8年)の旧道路法制定後に、
同年11月に関係法令として制定した道路法施行令で3条にわたって規定したものである。
この規定内容は、「府県庁、師団司令部、鎮守府、郡市役所または
町村役場の所在地を国道、府県道、または郡道の路線の起点終点とするときは
市町村における道路元標の位置によるものとする」とし、
各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされていた。
さらに、1922年(大正11年)に、道路元標の形状、規格、材料など
細目が規定された内務省令が発布され、
当時1万2000以上あった各市町村の自治体中心部に設置が始められた。
設置場所は府県知事が指定することとされており、
ほとんどは市町村役場の前か市町村の中心となる主要な
道路同士の交叉点に設置されていた。
東京市に限っては旧道路法施行令によって日本橋の
中央に設置することと定められていた。
道路の起終点を市町村名で指定した場合は、
道路元標のある場所を起終点としていた。
道路元標の大きさは、縦横25センチメートル、高さ約63センチメートルの直方体で、
一般に頂部が弧を描くように丸く削られた形状をしており、
材質は花崗岩で製作されているものが多い。
(Wikipediaより)


※立体消火栓も〜

自転車屋さん



製材屋さん?



前に見た風景〜

※伊勢神宮遥拝の為の石燈籠


※造形美ですね。

まだサンは、再会

※浮ドンは、お初!




難波金兵衛作銘



先へ〜



先へ〜


平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜
東日本大震災は8年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。
阪神大震災も24年…今年こそエエ年に!
平成末は北大阪大震災・豪雨・台風被害
令和初年は台風15・20号被害に胸が痛みます。
遂に天皇陛下は年下に〜
消費税も10%に!!
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