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令和元年、2019年の秋本番は~吹田へ!
古の職人技・物流の集積地…

突ポタde大阪市内の北側へ!
神社と地車の彫刻に溜息が~

前には~
01 02 03

浮ドンは、ポタ空白地とか…

河内の地車の彫物師・舟板蔵も…ほぉ~と感嘆が漏れます。
吹田市高浜町(高濱神社)~ 07

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
近場なので自走ポタ~相棒自転車は…プロムナード化したパナソニック号!
浮ドンはブロ君でタンデムポタ!!
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和元年10月22日
                                           UP日:令和二年02月03日


宮の前通り

※高濱神社サン
前には

竿灯のような~

※扁額

吹田の地名の由来は吹田大宮高浜神社に伝わる。
5世紀前後の頃、河内国次田邑の豪族 
次田連(スキタムラジ/【新選姓氏録】には吹田連)一族が
淀川を渡り、次田村を興したのが「吹田」の始まり。
次田連の根拠地は河内国安宿郡鋤田村ともあり、
吹田大宮高浜神社はその次田連一族の氏神神社で、
祖神の火明命(天照国照彦天火明串玉饒速日尊)、
とその息子の天香具山命(高倉下命)の二柱を祀る。
社名の高浜とは吹田の別名である。
(Wikipediaより)


安宿部郡(あすかべぐん)は、かつて河内国・堺県・大阪府にあった郡。
1880年(明治13年)に行政区画として発足した当時の郡域は、柏原市の一部(大和川以南)にあたる。
古代には「飛鳥戸郡」や「飛鳥部郡」、中世以降は「安宿郡」や「安福郡」とも表記された。
現在の羽曳野市の一部(石川以東)も郡域に含んでいたが、郡域の混乱により古市郡に転出した。
(Wikipediaより)


石畳の参道

※皇紀2600年銘

奉納馬
高岡製?

※一度は太平洋戦争期に
供出されたとか~

手水舎



狛犬


※吽

拝殿舎

※正面龍

見事です!

木鼻も~



高浜えびす神社

※扁額
奉納者は千日通ミヤコ■店

稲荷社

※境内摂社もサッシの中に~

石垣造設記念

※大正期の石碑です。

撫で牛


奇麗な彫ですが~

正面祓石

※鶴の松

御神木 鶴の松 とあり 昔の 境内には松の大木が沢山ありまして
鶴が巣を作りましたが 太閤秀吉公が大阪城築城の時
用材として切り取られたとの伝説が残る。




天明期に台風被害で倒壊した松とか~
畑の中の社杜だったんでしょうね。

※この燈篭は~

吹田最古の石燈篭とか~
笠の形が宝篋印塔にも似てます。
前に

※立派な社務所

参道見返って~

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