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令和元年、2019年の秋本番は~吹田へ!
古の職人技・物流の集積地…

突ポタde大阪市内の北側へ!
神社と地車の彫刻に溜息が~

前には~
01 02 03

浮ドンは、ポタ空白地とか…

河内の地車の彫物師・舟板蔵も…ほぉ~と感嘆が漏れます。
吹田市片山町(片山神社)~ 03

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
近場なので自走ポタ~相棒自転車は…プロムナード化したパナソニック号!
浮ドンはブロ君でタンデムポタ!!
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和元年10月22日
                                           UP日:令和二年01月28日


阪急豊津駅に戻って来ました。



天井川横を~



住宅の向こうのドームは?

※大阪ハリストス正教会・生神女庇護聖堂
1874(明治7)年に始まった大阪地方の伝道は、1878(明治11)年3月に実を結び、
聴教者37名が領洗し、講義所を開設、大阪正教会が誕生した。
1910(明治43)年7月、大阪天満橋に木造ビザンチン式の聖堂が建立されて、
大阪生神女庇護聖堂と名付けられた。
なお、この聖堂は先に1908(明治41)年に建立された松山ハリストス復活聖堂
(関東大震災後東京に移築)と同様、日露戦争のロシア戦没者を記憶するため、
ロシアのハリスティアニン兄弟姉妹の献品、献金により建立されたものである。
1945(昭和20)年6月大阪生神女庇護聖堂は惜しくも戦災により灰塵に帰した。
1962(昭和37)年4月、大阪吹田市の現在地にビザンチン様式を取り入れた
近代様式の鉄筋コンクリート造りの大阪生神女庇護聖堂の再建をみた。
イコノスタスは、モスクワの聖像画師グリヤノフが制作したモスクワのクセニヤ、
フェオドロブナ、コレスニコワ夫人によって四国の松山正教会に献納されたが、
東京を経て大阪教会に移設した由緒あるものである。
大小あわせて六つある鐘楼の鐘は、
1910(明治43)年、モスクワのイオアン、アンドレエイチ、コレスニコフ兄に
よって大阪天満の聖堂に献納され、
そのうち2つは戦時中に供出したので新たに鋳造されたが、
1910(明治43)年の建設当時のものとして現存する唯一のものであり、
今も祈りの時を告げている。
(日本正教会HPより)


坂の上の教会!
大阪でないような風景~

※昔は国鉄住宅だったと~
SLが走って居た頃には
国鉄関係者の企業城下町状態だったとか~
前には
今では大和大学大阪吹田キャンパスとか!

片山坂近く~

※アサヒビールの工場やタンク群が見えます。

凄い鳥居!
昔は(高校時分)は
落ち着いた神社だったと覚えています。

※お邪魔します~
令和天皇ご即位の日なんですわ~
この日

階段上って石畳の参道

※建物?と思えば~
アサヒビールのピー箱です。

多くの奉納燈篭

※アパートの二階と同じ目線

文化時の石燈篭

脇の路地を~

※えっ?

行き止まりでした~
国鉄敷地の石柱



もう一段上って
拝殿舎正面

※脇に気に成る石碑
後でね~

昭和天皇の詩歌
この日は令和天皇ご即位の日!

※手水者

手水鉢

※石に刻まれた手水作法

桃なんですね。

※拝殿舎正面
境内風景

拝殿舎破風

※拝殿舎の扁額

絵馬にも桃

※祈願桃

狛犬


※吽
少し違った顔つき

本殿舎脇から~

※裏口~

百度石

※大きな燈篭

大燈篭の記
平成7年の阪神淡路大震災の犠牲者の方々への
鎮魂を祈願し被災した鳥居の石柱で建てられった。

※豊川稲荷分霊


立派な稲荷社

※愛宕社

結び社

※布団太鼓なんですね。

納札殿

※遥拝所

武功表彰碑
日露戦争の時期



京都の方向向いて~
御所でしょうか?
伏見桃山御陵(明治天皇陵)でしょうか?

お邪魔しました~

※次へ~

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