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2018年の晩秋は〜
やっぱり奈良が好き!
秋晴の一日〜聖徳太子の足跡と勧請相撲…
同じ奈良でも絵馬堂の多い地区〜
今ですよ今!
香芝の名の由来は…へぇ〜!?
香芝市下田(鹿島神社)  15

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し〜

やはり浮ドンとは快晴〜カルテット(quartet)ポタ。。
相棒自転車はブロ君3台とUFO先生2号!

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成30年11月24日
                                           UP日:平成31年04月17日

名古屋まで?
えっ?回送車〜

※香芝市役所前高架橋

溜池も多い地区



住宅地なんですが〜

※下田の交差点

下田駅前のR165風景〜

※脇の築地

此処の先に〜

※社殿当社の創建は第80代高倉天皇の承安2年(1172年)3月に、
源義朝の家臣であった鎌田政清の子・鎌田小次(二)郎政光が
常陸国(現、茨城県)鹿島神宮の御分霊を勧請したのが始まりとされます。
当社に伝わる古文書(鹿嶋文書)によると、平治元(1159)年、
平治の乱にあって源義朝が平清盛に敗れ、東国へ敗走中に義朝の第一の家臣であった
鎌田兵衛藤原政清の舅 尾張国(現、愛知県)半田郡野間の長田庄司忠致に匿われました。
しかし、忠致は恩賞目当てに義朝を浴場で暗殺、政清も忠致の子景致に殺害され、
随行家来の大半は討死致しました。
鎌田政清の子・政光はかろうじて難を逃れ、常陸国 鹿嶋神宮に辿り着いたとされています。
そこで、源氏の再興を祈願し、百日の参籠を行い、昼夜一心に法華経を誦唱しました。
満願の夜、夢に一老翁が現れ「庚子(の年)源氏栄え、汝の福 西にあり」との御神託があり、
御分霊の御幣を奉じ西方へと向いました。
大和の下田の里で夕暮れとなり、土手(田のほとりとするものもある)の松の木の下で野宿し、
翌朝この地の景色が極めて鹿嶋に似ていた為、
懐かしく思いここに小祠を建て鹿嶋大明神を祀ったといわれます。
(鹿島神社HPより)


1956年(昭和31年)4月1日 - 北葛城郡五位堂村・下田村・二上村・志都美村が
合併して香芝町が発足する。
すでに設立されていた四ヶ村組合立香芝中学校から取ったとされ、
そもそも「香芝」は鹿嶋神社(下田西)に由来するとされる。

へぇ〜この鹿島神社サンから香芝市…

※扁額

狛犬


※吽
見えませんが〜

石灯籠

手水舎

※手水鉢

拝殿舎

※見返って〜
境内風景

懸崖菊の展示会

※絵馬堂

内部には多くの絵馬も〜



拝殿舎前の狛犬は真新しい〜

※拝殿舎裏に社叢が〜

凱旋記念碑

※明治29年
日清戦争でしょうか?
日清戦争(にっしんせんそう)は、
1894年(明治27年)7月25日から1895年(明治28年)4月17日にかけて
日本と清国の間で行われた戦争である。
なお、正式に宣戦布告されたのは1894年8月1日であり、
完全な終戦は台湾の平定を終えた1895年11月30日とする見方もある。
李氏朝鮮の地位確認と朝鮮半島の権益を巡る争いが直接の原因となって引き起こされ、
事実上の代理戦争状態となり主に朝鮮半島と遼東半島および黄海で両国は交戦し、
日本側の勝利と見なせる日清講和条約(下関条約)の調印によって終結した。
(Wikipediaより)


東へ〜


平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜
東日本大震災は8年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。
阪神大震災も24年…今年こそエエ年に!
北大阪大震災・豪雨被害
台風被害の秋ポタを春にUP(遅!)
連続的な台風20〜25号被害に胸が痛みます。
平成の次の元号は令和とか…

久々の4人連れ!
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