|
木製電柱も阿部定状態 こりゃ痛い! ※大竹の地蔵堂 前に墓標? |
七島七郎平 初代 いろは文五郎之碑 相撲弟子中 ※村相撲頭取 昭和29年再建銘 中世の郷村制(八尾・高安地区)では 玉祖神社を中心に12ヵ村(楽音寺・神立・水越・大竹・千塚・大窪・山畑・服部川・郡川・黒谷・教興寺・垣内) がまとまって夏祭りを行っていた形が今も残る。 (八尾・柏原の歴史より) |
西は平野 これは道標〜 |
道標兼ねてませんね。 ※先へ〜 |
石垣の高さが 少し低くなってきました。 ※ |
どっちへ行こうか〜 |
ホテイアオイ満開! 前には〜 ※生駒からの谷川も 昔は水車の動力として利用したとか〜 |
楽音寺の旧村 ※ |
出格子窓 ※もう一社 |
熊野神社サン 正面 此処も復活神社ですね。 ※明治期に西の山の金比羅屋敷(水運関係あるのでしょうか?) から貴島康彦祖先(現貴島病院)土地に移されたが、その後倒壊 玉祖神社に預けられていたが、昭和31年に再建。 ドラマが有りますね。 |
小さいですが 多くの玉垣 ※西の山古墳 古墳時代前期の南面する前方後円墳である。 もと楽音寺の村落がこの地の東の山麓にあった当時に古墳のある丘が 「西ノ山」と呼ばれていたところから、そのまま古墳名として残っている。 明治十四年(一八八一)開墾中に後円部から石棺が発見され、 その中から人骨、勾玉、刀剣などが出土した。いま前方部は耕されて植木畑となっている。 南の谷をへだてて、同じく前期の前方後円墳の花岡山古墳があった。 (八尾市観光データベースより) |
見返れば 大阪平野が一望 ※不許葷酒入山門 神宮寺の名残 |
墓標?と思えば〜 日輪當千一石一字三禮の地 前には〜 法華経塚 |
いよいよ標高差も少なくなって〜 ※ |
でも石垣見たら 結構下っています。 ※ |
石垣路地 ※ 立派な築地横目に〜 |
楠が気を付けして〜 |