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2018年の秋は
浮ドンの地元八尾から瓢箪山稲荷神社へ〜
秋祭りのシーズン、地車と太鼓台…
アキアカネに急かされて〜
今ですよ今!

八尾市万願寺(御野縣主神社)  07

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し〜

やはり浮ドンとは快晴〜タンデムポタ。。
相棒自転車はブロ君と片倉シルク号!

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成30年10月14日
                                           UP日:平成31年03月18日

東へ、もう一社〜

※金網の向こうに〜?

手前は公園でした〜

※脇からの参道

駐車場との取り合いみたい〜

※真新しい拝殿舎
現在は万願寺の地名は存在しないが、かつての地名の由来である満願寺と呼ばれた寺が恩智川の東、
現在の東山本町8丁目あたりに存在していたとされる。
しかし戦乱や恩智川の氾濫が度重なっていつしか廃寺となったと考えられ、
『河内志』に廃寺と記されている以外に文献が存在しないとされる。
安土桃山時代ごろに集落の本村を恩智川の西側に移し、
住吉大社より分霊を勧請して祀ったのが現在の東山本町2丁目にある住吉神社の起源である。
江戸時代になると満願寺地域は幕府の天領となり、旗本・大窪加賀守の支配地となる。
18世紀初頭に大和川の川違えが行われ、西を流れる玉櫛川(玉串川)の跡地が新田として開発され、
そのころに村名が萬願寺に変わっている。
19世紀になると、水利権の争いを発端として上之島村内の惣村だった式部村が分村し、
北垣内に御野縣主神社の御神体を祀ったのが現在の式部宮御野懸主神社である。
同じころに新家村も分村して住吉神社の氏子となっている。
このころに旧万願寺地域の範囲が固まっている。
地域は3つの神社と万願寺本村(南之辻)、新家(新家之辻)、御領(中之辻)、式部(北之辻)の
4つの主な惣村で構成されていた。
文化9年(1812年)から小田原藩支配地となる。
(Wikipediaより)


狛犬


※吽

 入歯系ですか〜


※吽

 天保期の物

尻尾は〜
なにわ型



扁額

※破風も〜
オモダカ紋
他の合祀されていた
神社からの復活でしょうね。

木製斜め電柱横目で〜

※石材の多い地区
平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜
東日本大震災は8年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も23年…今年こそエエ年に!
北大阪大震災・豪雨被害
台風被害の秋ポタを春にUP(遅!)
連続的な台風20〜25号被害に胸が痛みます。
平成の次の元号は??

えっ?皆様方、急遽過ぎと体調不良に家事・仕事にて
お休み〜残念!
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