神宮寺の金剛院さん
※由来記
当名手八幡神社(『紀州名所図絵』には名手大明神社)は紀伊ノ国紀北御開拓の祖神、
丹生津比売大神が御降臨なされた聖地であり古来より産土神として御奉斎されている。
神功皇后(第十四代 仲哀天皇の御后)が三韓征伐(新羅、高麗、百済の三国)の後、
筑紫(現、福岡県)より御旋の途中、畏しこくも此の応神山に御幸啓なされ、
当神社に御奉斎される神々に、筑紫の蚊田(現、福岡県糟屋郡宇見町)で
御授けなられた後の第十五代応神天皇(別名、誉牟田別命)の御生誕を御奉告なされ、
約3ヶ月間当山に御駐輦なされた(当山を応神山と称するのはこの由に依る。
故により、その縁をもって誉牟田別命(第十五代応神天皇)を
当社の主祭神として勧請しお奉斎している。
大鳥居の御額に「八幡神社」と有るが、
この額は慶安元(1648)年子年紀州徳川家初代藩候徳川頼宣侯より奉納されたものである。
当神社は皇族方が熊野詣等御行幸啓の折、
神功皇后がその昔当応神山に御駐輦なされた古事に依り、
御旅所として定められ、第七十七代後白河法皇、第八十二代後鳥羽上皇、
第九十六代後醍醐天皇の御行幸が有り、畏しこくも南北朝時代後醍醐天皇(1316〜1339)が吉野(奈良県)に朝廷を開かれた折、
当社に御行幸啓なされ、その砌り今日に至る迄中止されたことのない秋の例大祭に奉納される稚児の渡御式を起こされた。
今は絶へて久しいが、祭礼6月晦日には能の奉納が有り、役者は和州天の川(現、奈良県吉野郡天川)より来ていた。
又、8月15日には流鏑、馳馬が有り馬数は大抵百騎であったと伝へられている。
明治40年4月神饌幣帛料供進神社に指定される。
(和歌山神社庁HPより) |