踏切渡って〜
線路渡るって緊張します〜私
昔、京都市電の路線で中―ブラ―ホイールを
曲げてたのを見た思い出が〜
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高野口地方の、パイル織(編)物(別名 シール織物・シールメリヤス)は、
織(編)物の基布に毛(パイル糸)が織り(編む)込まれている特殊な有毛布地であります。
中略
産地としての歴史は古く、江戸時代の木綿織物にはじまり、その独特な織物は明治に入り、
川上ネルとよばれ飛躍的な発展をとげました。
明治の初め前田安助氏が再織(さいおり)という特殊織物の製法を創案し、
それ以降は再織の生産に転換したのです。
再織は世界的にもチェコスロバキヤ以外に類のない手工業的技術の特殊織物で、
当時の外国商館よりカーテン、テーブルクロスなどの注文を受け、
米国に輸出されて好評を博したものであります。
その後、大正時代に入り、より新しい織物の研究がくり返され、
西山定吉氏によりシール織物が考案されて、量産可能な機械化時代に対応する姿となりました。
そして世間で話題になった大正ロマンの代表的商品である婦人のシールのコート、
「君の名は」の、まちこ巻きなどの流行商品を生みました。
(紀州繊維工業組合HPより)
へぇ〜
※歴史街道
大和街道標横目に〜
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大和街道だそうで〜
奈良道ですね。
※コンクリ製の地蔵堂
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先は微妙な上りです〜
※ねっ!
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街道沿いの参道燈籠
※青空児童館
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街道外れて参道へ〜
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住吉神社サン
※紀ノ川の水運でしょうね。
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狛犬
阿
※吽
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なにわ型
なんですが
尻尾の流れが気に成ります。
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河内砂岩でしょうか?
※境内風景
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手水鉢
※文化銘
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真新しい
百度石
※辻 慶次歌碑
古里のみやに栄えて老松の姿は消えずいまもまぶたに
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北名古曽20人衆
天平十年(1582)織田信長の高野攻めの時、織田方の武将、
松山庄五郎が名古曽に布陣の際、
戦勝を祈願して、堺の住吉神社を勧請したもの
とか〜
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拝殿舎
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見返って〜
※本殿舎
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社殿前狛犬
阿
※吽
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左から
金比羅宮
天満宮
小北稲荷明神
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本殿舎脇から〜
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※お邪魔しました〜
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路地を〜
※高台から高野口公園望む
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教楽寺さんの屋根が〜
※横目に南へ〜
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