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2018年のお盆は
ポタ空白部の泉南地方に行きたいと…
堺や貝塚には行きましたが〜
関空のお膝元の地区…今ですよ今!

泉佐野市上之郷(衣通姫茅渟宮跡) 13
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成30年08月16日
                                           UP日:平成31年01月17日


もう一度
集落の中へ〜

※永遠に世界の平和
祈りつつ
太平洋戦争記念庫

吊魂碑



家屋門

※糸編木造工場

唐臼

※正楽寺さん
此処も盆踊り

集落内道路



大きな御家が〜

※糸編工場此処にも〜

石塔チラリと〜

※昔からの道

屋門

※白壁が…




圃場に囲まれた地区

※鎧の様な瓦屋根







下村公民館




※早生米の向こうに玉垣〜

プー太一休み

※中村児童公園内に〜

衣通姫(そとおりひめ、そとほりひめ、そとおしひめ)は、
記紀にて伝承される女性。
衣通郎姫(そとおしのいらつめ)・衣通郎女・衣通王とも。
大変に美しい女性であり、その美しさが衣を通して輝くことからこの名の由来となっている。
本朝三美人の一人とも称される。
和歌に優れていたとされ、和歌三神の一柱としても数えられる。
(Wikipediaより)




『古事記』には、允恭天皇皇女の軽大郎女(かるのおおいらつめ)の別名とし、
同母兄である軽太子(かるのひつぎのみこ)と情を通じるタブーを犯す。
それが原因で允恭天皇崩御後、軽太子は群臣に背かれて失脚、伊予へ流刑となるが、
衣通姫もそれを追って伊予に赴き、再会を果たした二人は心中する(衣通姫伝説)。

『日本書紀』においては、允恭天皇の皇后忍坂大中姫の妹・弟姫(おとひめ)とされ、
允恭天皇に寵愛された妃として描かれる。
近江坂田から迎えられ入内し、藤原宮(奈良県橿原市)に住んだが、
皇后の嫉妬を理由に河内の茅渟宮(ちぬのみや、大阪府泉佐野市)へ移り住み、
天皇は遊猟にかこつけて衣通郎姫の許に通い続ける。
皇后がこれを諌め諭すと、以後の行幸は稀になったという。

紀伊の国で信仰されていた玉津島姫と同一視され、
和歌三神の一柱であるとされる。
現在では和歌山県和歌山市にある玉津島神社に稚日女尊、神功皇后と共に合祀されている。
(Wikipediaより)


※石工 大阪天満
平清 銘

公園隅に〜

※濠が有ります。

漢詩
読めない。。





糸編工場
布巻ボビン



マイ石橋が有る家屋

※クボタ愛用者看板

この倉庫は?

※パーマ屋さん看板

路地風景

※盆踊り〜

正楽寺さん
手創り感満載!

※御礼!

お寺も参りたいですが〜



木製電柱



土蔵が目を惹きます。





だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し〜

基本6輪ポタ、雨傘片手にまださんと歩きポタと山登り〜
少しの晴れ間は相棒自転車でブロ君達と!

平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜
東日本大震災は7年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も23年…今年こそエエ年に!
北大阪大震災・豪雨被害
灼熱の夏も過ぎ年末に春のポタ(UP遅!)
連続的な台風20〜25号被害に胸が痛みます。
平成の次の元号は??

えっ?皆様方、急遽過ぎと体調不良に家事・仕事にて
お休み〜残念!
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