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2018新年1発目は
他所の秦河勝の墓は前に伺いましたが…
此処にも在りました。
&太秦も〜

寝屋川市高柳(高柳大将軍) 11

だからいつもの神社と路地・旧村探し〜
秦河勝は凄く忙しかった!?
01 02
相棒自転車は久々のブロ君達!
今年の目標は何でも有?

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成30年01月06日
                                           UP日:平成30年08月23日

江戸期からの里道
脇に水路が在ったんでは?
茨田堤の跡は市内ではどこか? といいますと、現在の大利墓地の北に石橋があります。
その先の方は市道池田・秦線につながっています。
これが古来より茨田堤と称されてきたもので、
2メートルほどの道が新しく建った住宅のなかに肩身をせまくしてうねりくねっています。
この道が淀川南流の堤であったと考えられます。
(寺前治一 「寝屋川史話100題」より抜粋)


※昔の地図を見たら
田圃の中の一本道だったのに
今では裏道様に…

幼稚園バスも走るのですね〜

※此処は歩行者専用?

この道がねぇ〜

※今では住宅地の中

集合住宅も〜



友呂岐から流れ出る〜古川

※茨田堤の跡?

大利墓地は昔から〜
大利の墓地にひときわ高く立派な碑があります。
「山崎渡船遭難者之墓」と刻まれ、裏面にはその事情が記されているのですが、
風化して全文を読むことはできません。建立年は「明治庚戊年八月十一日」と読めます。
(中略)
それまでは歩いて参詣していたのですが、明治43年(1910)4月15日に京阪電車が開通したので、
初乗りを兼ねて橋本から電車で往復する柳谷観音詣でをしようということになりました。
開通2週間後のことで一行は72名でした。
柳谷観音参りを終えての帰り道、山崎から橋本への渡船に乗船することになったのですが、
そのうちのひとつの船が転覆してしまいました。
乗船していた19名のうち、助かったのはわずかに3名という淀川の交通史上、
最大ともいうべき惨事となったのです。
(寝屋川市HPより)


※地蔵様合祀されて〜

昔から墓地の中の道

※府道18号

古川付いたり離れたり〜



京阪バス
まださん昔、通学で乗ったなぁと〜

※住宅地の中へ〜

縦置き横置き住宅地



寝屋川から佐太への脇街道

※西へ向かうと…

ポカンとした空き地に〜

※高柳村の鬼門(きもん、北東)といわれた方角に、昔は木々がうっそうと茂り、
たぬきがすむと恐れられていた場所がありました。
高柳村ではそのころ異変が続いていました。
村中で話し合われ「鬼門を粗末にしているからだ。
大将軍をまつろう」ということになりました。
これが高柳村の「大将軍」のおこりで、以来、村人の厚い信仰を集めてきました。

「大将軍」というのは大安や仏滅などとともに暦(こよみ)の吉凶をつかさどる
八将軍、太歳神(たいさいしん)、大将軍、太陰神(たいおんしん)、歳刊神(さいきょうしん)、
歳破神(さいはしん)、歳刹神(さいせつしん)、黄幡神(おうはんしん)、豹尾神(ひょうびしん)と
いう方位の神のひとつですが、そのなかでも代表的な立場で古来より最も恐れられていました。
(寝屋川市HPより)


高柳・黒原・太秦(うずまさ)・高宮の地区には「大将軍」という小字があります。
石津には「大上戸」、三井には「大上権」、太秦には「大上こん」がありますが、
これらは大将軍のなまったものと考えられます。
大将軍をまつった場所や地域をさしているのでしょう。
(寝屋川市HPより)


※色々な講中が引き継がれるんですね〜

平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜
東日本大震災は7年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も23年…今年こそエエ年に!
北大阪大震災・豪雨被害、今年も胸が痛みます。
灼熱の夏に冬のポタ(UP遅!)
台風20号接近中
マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方、急遽過ぎと体調不良に家事・仕事にて
お休み〜残念!
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