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紅葉の季節、西国街道の要所だった
大阪北部の高槻へ!
高山右近の夢の跡~

大塚(大塚神社) 11


だからいつもの神社と路地・旧村探し~
「鶯の啼くや鵜殿の河柳」蕪村。。。
相棒自転車は久々のUFO先生Ⅰ号とブロ君達!
今年の目標はフルサイズ!

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成29年11月04日
                                           UP日:平成30年03月31日

深澤の旧村ぬけて~



燃える男の赤いトラクター!



次の旧村へ~



淀川堤~
元々の街道は、あの上。

※家庭菜園~

エエ天気でした~




※ミニ開発の狭間を~

左右に分かれて
神社境内?

※大塚神社サン

大塚殿小宮サン

※三大字氏子中

大塚神社サン
拝殿舎

※正面へ~

大塚神社正面(南側)

※正面から~

大き目な奉納燈籠
葭方中
鵜殿に生えるヨシは、
高さが3mほどの大形のヨシで太く弾力性があり、
古くから雅楽の篳篥(ひちりき)の
蘆舌(西洋管楽器のリード部分に相当)として使用されており、
1945年(昭和20年)頃までは、毎年100本ずつ宮内庁に献上されていた。
今でも宮内庁楽部で使われている蘆舌は、
すべて鵜殿産のヨシで作られている。
顕微鏡で観察すると鵜殿のヨシは他の物より繊維の密度が
高いため音色が独特である。
(Wikipediaより)



石工銘

※正直が地名の名




狛犬は新しい~

※扁額

拝殿舎正面から~

※手水舎
杯状穴は無い。

彫刻も見事な!
龍に鳳凰、麒麟

※木鼻に象と獅子

古い狛犬は社殿内に~

※見返って~

此処も奉納者は
女の方の名前が列記され。

※王塚→大塚に成ったとか~

清和源氏の始祖・清和天皇が、この地を訪れた時に冠を忘れ、
それを守っていた村民が天皇崩御後、
冠を祀り社殿を造ったのが大塚小神社の始まりとされる。
また建武2年(1335年)にこの地を大洪水が襲い、その際に仏像が出現。
恵慶なる僧が勧請し、祀ったのが大塚神社の由来とされる。
(高槻市HPより)

※扁額

拝殿舎

※手水舎

狛犬


※吽

本殿舎裏から~

※身代わり地蔵尊

本殿舎
裏から~

※脇から~

境内風景~

手水鉢に
杯状穴の出来掛け?

※見返って~

大きな社殿
自然の恵み

※遥拝所

まだサンが
遅れて着くと連絡が~
JR高槻駅に戻ります。



来た道近くを~



急ぎます~


平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が~
東日本大震災は7年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も23年…今年こそエエ年に!
冬季五輪は日本勢大活躍!
マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方、急遽過ぎと体調不良に家事・仕事にて
お休み~残念!
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