黒井幼稚園脇の山門
興禅寺さんへ〜
※行きましょう〜
|
お洒落な感じの門燈
ガラスカバーが…
※黒井山城見上げて〜
|
猪ノ口山の登山口には、 興禅寺があり下館(しもやかた)跡であると
推定されている。
この下館は赤井直正が黒井城に入城した時に、奥村氏の屋敷跡を改修し、
水濠と石垣などの防御施設も備えている点から、
単純な居館とは一線を画しているという指摘もある。
山城は山麓に居館を設け平時はそこで暮らし、
戦時には山に立て篭もるのが一般的とされている。
この下館を中心に家臣屋敷も建ち並び、職人町、商人町もあり、坂が多く、
道も折れ曲がっている点から江戸時代の城下町とは異なり、
戦国時代の城下町の面影を今も色濃く残している。
また根古山、丸山、太刀野、幟立、馬縄手等の城の名残を
思い浮かべる地名が数多く伝承されている。
(Wikipediaより)
※
|
寺の前の御堂に地蔵菩薩
※
|
曇り空に
百日紅が心に沁みます。
※パラリと空が泣き出しました。
|
高石垣と水濠
長さは約80メートルの水濠は「七間堀」と呼ばれており、石垣の高さは約5m程度で、
黒井城と同様の「野面積み」で、部分的に切込みハギが使われている部分は
後世の改修の手が入ったと思われている。
(Wikipediaより)
※石製の水門も〜
|
お邪魔して〜
※見事な石垣
|
楼門
宮津市にある智源寺からの移築門で、創建年代は不明だが、
元禄年間改修の記録が残る。
(Wikipediaより)
※春日局
大原玲子さんでしたなぁ〜
綺麗でした!
|
明智光秀が黒井城を落城させた後、斎藤利三が黒井城と下館を中心にこの地を治めた。
天正7年(1579年)から天正9年(1581年)の3年間、
亀山城 (丹波国)と往来していたと思われている。
その天正7年(1579年)にお福が生まれ3歳まで居住した。
彼女が後の徳川家光の乳母であり大奥の礎を築き統括した春日局である。
『稲葉家・御家系典』には、
春日局を御乳母となし、局頭と称して春日局と号す。
これすなわち、丹波国氷川郡春日井庄の生所をもってこの名をなすという。
と記載され下館が生誕の地ではないかと推定されている。
(Wikipediaより)
※補陀洛山の扁額が〜
|
庭園の向こうに
指月殿
※鐘楼
赤井直正の子赤井直義が先祖供養のために建てられたと言われている。
現在の鐘楼は大正2年に改築された。
(Wikipediaより)
|
楼門
寺内から〜
※この寺院が中心地なら
水害被害には遭わない様に
町割りがされていたんですね。
|
阿像
※吽像
|
あの山は昔のまま
山も庭も動き入るるや夏座敷
芭蕉
※雨宿りして〜
|
見返って〜
※雨が少し小降りに成って…
|
夏休みの一日です。。 |