6輪ポタならではのワープです。
丹波竹田の東の山際
いわくら里山ハイキングコースが有ります。
※浮ドンのリクエスト
石像寺さんに行きたいと…
|
山門〜
※アブラ蝉の声明の中〜
|
本堂
前の枯山水
これが見たかったと〜
※重森 三玲(しげもり みれい、1896年8月20日 - 1975年3月12日)は、
昭和期の日本の作庭家・日本庭園史の研究家。
出生名は重森計夫。
岡山県上房郡吉川村(現・加賀郡吉備中央町吉川)の生まれ。
当地には豪渓(ごうけい)と呼ばれる水墨山水画の世界を思わせる渓谷地帯がある。
日本美術学校で日本画を学び、いけばなと茶道を習い稽古に励む。
日本美術学校卒業後には東洋大学文学部に学ぶ。
大正6年(1917年)に画家の道を志し上京するが、全国から集まる才能に意気消沈する。
昭和4年(1929年)京都へ移り住むと、翌年には勅使河原蒼風らと
「新興いけばな宣言」を起草(当時は未発表)、いけばなの革新を世に提唱した。
その後は日本庭園を独学で学ぶ。昭和11年(1936年)より全国の庭園を実測調査し、
全国500箇所にさまざまな時代の名庭実測、古庭園の調査などにより、
研究家として日本庭園史のさきがけとなっていく。
(Wikipediaより)
|
砂の色で分かる通り〜
朱雀・玄武・白虎・青竜だそうで…
朱の朱雀
※へぇ〜
|
白虎の向こうに朱雀
後ろの垣にも四神と竹材で
書かれています。
※玄武の向こうに青竜
|
鯨かと思いましたが〜
青竜ですか。。。
※綺麗に砂紋が入っています。
雑草処理も大変でしょうね。
保存のご苦労に頭が下がります。
|
鐘楼から〜
庭的には何処が正面かな?
※百日紅が咲く向こうに〜
丹波竹田の町を望んで〜
|
お邪魔して〜
※
|
整然と〜
※お勧めします!
|
脇の庭にも枯れ山水〜
※四季で楽しめそう〜
|
エエなぁ〜
※
|
山水の脇に
西山泊雲の句碑
酒の燗する火色なきつつじかな
西山 泊雲(にしやま はくうん 1877年4月3日 - 1944年9月15日)は、兵庫県出身の俳人。
本名亮三。竹田村(現丹波市)生。酒造家西山騰三の長男。弟は野村泊月で、
泊月の紹介で高浜虚子に師事した。
酒造業を継いだが、青年期には神経衰弱に陥り家出や自殺未遂を経験。
また家業が不振となった折には、虚子がその醸造酒を「小鼓」と命名し、
「ホトトギス」に何度も広告を出して再興を助けた。
(Weblio辞書より)
※
|
本堂前の木彫
翼の有る龍
※
|
後ろ髪引かれながら〜
※蝉時雨の参道へ〜
見返りながら…
エエもん見せて頂きました!
おおきに御馳走様!!
|