topページへ戻る コンテンツ メニューへ戻る 親爺紹介 リンクへ 一言BBSへ

盆休みは何処へ?
眼の正月しに丹波竹田へ〜!?
丹波佐吉さんと中井権次一統さんの
彫刻見に〜〜重森三玲さんの御庭も…

重森三玲さんの庭 中竹田(石像寺) 04

今年の夏場、関西は高温とゲリラ豪雨、関東は冷夏の様相〜
それと、皆様方加齢とともに周囲多忙と身体変調…
中々スケジュールが合いません。

混むで…電車?高いで…
だからいつもの神社と路地探し〜
式内社の多い地区を新車エブリィで6輪ポタ〜
今回の相棒自転車はナショナルデモンタと片倉シルク号。。!
今年の目標はフルサイズ!

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成29年08月14日
                                           UP日:平成29年08月28日

6輪ポタならではのワープです。
丹波竹田の東の山際
いわくら里山ハイキングコースが有ります。

※浮ドンのリクエスト
石像寺さんに行きたいと…

山門〜

※アブラ蝉の声明の中〜

本堂
前の枯山水
これが見たかったと〜

※重森 三玲(しげもり みれい、1896年8月20日 - 1975年3月12日)は、
昭和期の日本の作庭家・日本庭園史の研究家。
出生名は重森計夫。
岡山県上房郡吉川村(現・加賀郡吉備中央町吉川)の生まれ。
当地には豪渓(ごうけい)と呼ばれる水墨山水画の世界を思わせる渓谷地帯がある。
日本美術学校で日本画を学び、いけばなと茶道を習い稽古に励む。
日本美術学校卒業後には東洋大学文学部に学ぶ。
大正6年(1917年)に画家の道を志し上京するが、全国から集まる才能に意気消沈する。
昭和4年(1929年)京都へ移り住むと、翌年には勅使河原蒼風らと
「新興いけばな宣言」を起草(当時は未発表)、いけばなの革新を世に提唱した。
その後は日本庭園を独学で学ぶ。昭和11年(1936年)より全国の庭園を実測調査し、
全国500箇所にさまざまな時代の名庭実測、古庭園の調査などにより、
研究家として日本庭園史のさきがけとなっていく。
(Wikipediaより)


砂の色で分かる通り〜
朱雀・玄武・白虎・青竜だそうで…
朱の朱雀

※へぇ〜

白虎の向こうに朱雀
後ろの垣にも四神と竹材で
書かれています。

※玄武の向こうに青竜

鯨かと思いましたが〜
青竜ですか。。。

※綺麗に砂紋が入っています。
雑草処理も大変でしょうね。
保存のご苦労に頭が下がります。

鐘楼から〜
庭的には何処が正面かな?

※百日紅が咲く向こうに〜
丹波竹田の町を望んで〜

お邪魔して〜



整然と〜

※お勧めします!

脇の庭にも枯れ山水〜

※四季で楽しめそう〜

エエなぁ〜



山水の脇に
西山泊雲の句碑
酒の燗する火色なきつつじかな

西山 泊雲(にしやま はくうん 1877年4月3日 - 1944年9月15日)は、兵庫県出身の俳人。
本名亮三。竹田村(現丹波市)生。酒造家西山騰三の長男。弟は野村泊月で、
泊月の紹介で高浜虚子に師事した。
酒造業を継いだが、青年期には神経衰弱に陥り家出や自殺未遂を経験。
また家業が不振となった折には、虚子がその醸造酒を「小鼓」と命名し、
「ホトトギス」に何度も広告を出して再興を助けた。
(Weblio辞書より)




本堂前の木彫
翼の有る龍



後ろ髪引かれながら〜

※蝉時雨の参道へ〜
見返りながら…

エエもん見せて頂きました!
おおきに御馳走様!!
平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜
東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も22年…今年こそエエ年に!
マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方、急遽過ぎと体調不良に家事・仕事にて
お休み〜残念!
ページトップに戻る

01 02 03 04 05 06
07 08 09 10 11 12
13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24

怪しい親爺のポタメニューに戻る
Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.